
「何かをすることだけが看護じゃない」
21歳。社会人1年目にして看護師1年生の私は大学病院の皮膚科・形成外科病棟で勤務をしていた。
生後1ヶ月の先天奇形の乳児から、全身熱傷の重症患者、寝たきりの高齢者と患者さんの年齢層は幅広い。赤ちゃんの沐浴をしたかと思えば、褥瘡のおばあちゃんの創洗浄。お昼休憩中もオペ室からの電話でオペ出しに走ったりと目まぐるしい毎日。
ようやく仕事にも慣れた頃、私は初めて終末期の患者さんを担当することになった。
皮膚癌が肝臓に転移し肝硬変を患い余命が僅かなMさん。口数は少ないが穏やかで紳士的な70代の男性。奥さんや娘さんも温和で、毎日お見舞いに来る仲のいい家族。家族の希望でMさんに余命は告知されていない。
終末期=看取りの看護
外科系病棟は、術後に退院して行く患者さんが殆どで、終末期を迎える人は少ない。
MさんとMさんの家族にどんな看護を提供すればいいのだろうと悩む毎日。悩んでいる間にも、Mさんの病状は日に日に悪化していく。
黄疸のせいで全身の皮膚は黄色くなり、次第に羽ばたき振戦を起こすようになり、肝性昏睡のせいで意識は徐々に混濁し、とうとう寝たきりになってしまった。
もういつ何が起こってもおかしくない状況。奥さんと娘さんは付き添いのため交代で泊まるようになった。
少しずつ衰弱するMさんを目にして、奥さんと娘さんは不安や寂しさでいっぱいだろう。そう思い、私は訪室するたびに何かしら声をかけていた。しかし2人からは、今の状態を聞かれることはあっても、今の気持ちを聞くことはできなかった。
私は家族の看護をできているのか?2人が何も話してくれないのは、私が頼りないからなのではないか、信頼されていないのではないか、と落ち込んでいた。
ある日先輩に相談すると
「Mさんの家族はある程度心の準備はできてると思う。私はMさんの家族がこちらに何かを求めてるようには見えへん。何かをすることだけが看護じゃない。何も必要としない人もいる」
私は、ハラハラと目から鱗が落ちていくような感覚に陥った。
毎日、自分にできることはないか、どうアプローチすればいいのだろう、そんな事ばかりを考え、Mさん家族の気持ちを勝手に想像していた。
自分が何かをしたいと思うことと、相手が求めるものは全く異なることもある。
私は看護を提供していたのではなく、自分がしたい看護を押し売りのように押し付けていたのかもしれない、と気がついた。
その人が置かれている状況を把握し、その人を見守る。そして何かを求められた時にはいつでも対応できるように手を差し伸べる。
それが大切なのだと気がついた。
大学病院では色々な先輩からアドバイスや助言をもらい、看護師としてどうするべきかをたくさん学んだ。
その中でも「何かをすることだけが看護じゃない」という言葉はずっと私の中に教訓のように残っている。
看護師を25年以上続けてきた今なら分かる。
プライベートな領域には入り込まないで欲しい人がいること。
怒って怒鳴り散らす人ほど、不安と恐怖に苛まれていること。
行動や言動は、時にその人の感情と裏腹な事も多い。
全体像をみて、冷静にその人の気持ちをくみ取り、必要なタイミングで適切な対応をする。
理想の看護は永遠にできないかもしれない。
でも、私と関わった誰かが、ほんの少しでも安心したり、ホッとできたな、と思える場を提供していきたい。
そんなことを考えながら私は今日も働いている。