冷凍ナポリタンを食べながら
今の職場へ転職する時、前の住まいでは通勤が不便なので大阪市内から南の方へと引っ越した。
引っ越してすぐ、私はパン屋さんを探した。けれども、Googleマップで検索しても近くにパン屋さんはなかった。どうやら、大きな国道に出なければないようだった。生憎、私はペーパードライバーで車も持っていない。自転車に乗れば大きめのスーパーマーケットの中に入っているパン屋さんがあったので、それで我慢することにした。
前の家の近所なら、徒歩圏内にいくつかパン屋さんが有ったのにな、と恋しくなった。
職場では電車通勤は私だけだった。近所の人は自転車、少し離れている人はみんな車で通勤している。職場は駅から離れているし、電車の本数も少ない。みんなが車で自宅に着く頃に、私はトボトボ歩いて漸く駅に着く。
今のマンションに引っ越して、設備面も広さも快適ではあった。でも、なぜか、ここに長く住む気がしなかった。
インテリアが好きな私は、かつてはカーテンの長さが窓のサイズに合っていない、とかそう言うのが許せなかった。でも、今の家のカーテンは寸足らずで、長さが足りていないのに、一向に買いなおそうと言う気が起こらなかった。むしろ、この家にわざわざカーテンを買い替えるのが勿体無い、とさえ思ってしまった。
なんだか車社会のここの暮らしに馴染めず、院長の治療方針にも納得できないことがあり、元いた大阪市内の職場に戻ることにした。
残念なのは、今の病院のスタッフはみんな優しくて、本当に仲がいいこと。2回りも年下の検査や受付のスタッフともご飯にいったり、我が家でホームパーティーをしたり。
40代のスタッフとは更年期あるあるについて語ったり、夜の営みについて話したり。
女ばかりの職場にしては珍しく、陰口を言う人もいない。
「先生からむくみさんに辞めないように言って下さいって抗議してくる」
「むくみさんが辞めたら困るのは先生ですよって言ってくる」
そう言われても、私の決心は変わらなかった。
ただ、本音を言えば、スタッフを全員引き連れて、転職したい。
転職を決めた8月から瞬く間に月日は流れ、引越しで休みをもらっている私の出勤日はあと1日となった。
今日、パートのYさんと一緒に働く、最後の勤務だった。
開院当初からパートながら頑張っていたYさん。Yさんはマイペースタイプで黙々と自分の仕事をこなし、自分の感情を表に出さないタイプの人。いつも、淡々としている。
駐車場へ向かうYさんと、帰り道を一緒に歩いていた。
分かれ際、横断歩道で
「なんか、最後って言う実感がないわ」
そう話しかけると、Yさんは下を向いて無言になった。あれ?と思っていると涙を流していた。
どちらかと言うと、私が泣くのを
「もう、むくみさんっ!」
と言って宥めてくれるはずのYさんが泣いている。
泣かないと思っていた人の涙は、こんなにも心にグッと刺さるのか。私は急に、後ろ髪を引かれる気持ちがした。
こんなに心を揺さぶられた涙は今までになかった気がする。
「またすぐ戻ってきてな」
「いつでも待ってるから」
毎日のように、そう言ってくれるスタッフの声がこだまする。
ひとり、電気のつかない暗闇の新居で掃除をしながら、モヤモヤとしたつっかえが、ずっと胸の辺りに居座っていた。
明後日はいよいよ引越し。
明日中に全ての荷物を梱包し、掃除をしなければならない。
冷蔵後の中を空にするべく、私は冷凍ナポリタンを食べている。