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蜜柑
駅から職場まで、住宅や田んぼの長閑な風景を見ながら20分弱歩く。
途中の畑の前に、いつ倒れてもおかしくないような手作りの古びた棚があり、上の段に小銭を入れる木箱が置かれている。田舎でよく見かける、野菜の無人販売。
私が通る時間、その棚に野菜が置かれていることは殆どない。
先週、出勤途中にその棚の前を通ると、袋に入った蜜柑が並んでいた。6〜7個入りの袋が5つ。袋には油性マジックで100円と書かれている。
安いな、と思いながら通り過ぎたが、昨日スーパーで見た蜜柑は同じくらいの個数で、1袋500円位していた。単純計算で1/5の値段。これは買わないわけにはいかない。
前後を見ると人は通っていない。引き返すなら今しかない、と踵を返し、古びた棚の前に戻った。
木箱に100円を入れようとコートのポケットからパスケースを取り出す。小銭入れのファスナーを開け、中を覗くと僅かな小銭しか入っていない。銀色の側面がギザギザした硬貨を見つけ取り出すと、残念なことに真ん中に穴が開た50円玉だった。
全ての小銭を手のひらに出してみる。数えると86円だった。
100円の蜜柑が欲しいのに、小銭が86円しかない。5袋全部買って、1,000円札を木箱に捩じ込もうか。しかし、リュックの中には5袋も入らないし、重すぎる。
私はしばし逡巡した結果、蜜柑の購入を断念し、職場へと向かった。
キャッシュレス決済の昨今、私が現金を使うのは、現金しか使えないドラッグストア、コスモスでのみ。
仕事帰りにコスモスへ寄り、買い物をする。お釣りの小銭でお財布はパンパンに膨れ、私は満足だった。
100円玉の準備は万端。
翌日、棚の前を通ると蜜柑は並んでいなかった。
その翌日も蜜柑の姿はなかった。
あれから1週間経つが、蜜柑は全く姿を現さない。
あの日、あの時、あの場所で100円玉があったなら。
古びた棚の前を通る度に、蜜柑を買えなかったことを思い出す。
私のお財布には未だ、使うことのない100円玉がゴロゴロと入っている。