
あの娘がやってきた(1,737字)
あの娘が初めて僕のところにやってきたのは今から15年ほど前。
正確には、あの娘はそれ以前にも僕の前を通り過ぎていた。僕があの娘の存在に気がついていなかっただけだ。
例えば、いつも通勤で使う最寄駅。ある日、向かいのホームに素敵な女性を見つけたとする。でも実は彼女はもう何年も前からその駅を使っていたし、毎日同じ時刻にそのホームで電車を待っていた。髪をバッサリと切り、綺麗な色のコートを着ていたから、偶然その日、視界に入ったのだ。
そういうのと同じだ。
△ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽
昔から、あの娘の噂は聞いていた。でも僕には関係ないと高を括り、あの娘の話を聞いても「ふーん。大変だね」とまるで他人事だった。
そんな僕のことが癪に触ったのか、あの娘は僕のところへやってきた。
出会った頃のあの娘は控えめで大人しかった。初めて会う僕に遠慮していたのかもしれない。少しはにかんで会釈をした。誰かに会いに来たついでに僕に会釈をしたのだろう。そう思っていた。
次の年、あの娘はまたやってきた。まさか、僕に会いにきてる?
2年続けて会釈を交わしたくらいで、自分のところにやって来たと思うなんて、自惚れも甚だしい。僕は気になりつつも、このことを誰にも話さなかった。
でも、そんなことが4、5年も続いた。これはただの自惚ではないかもしれない。あの娘の目当ては僕なのかもしれない。
あの娘がどう思っているのか、確かめたくなった僕は人伝に確認した。
結果…あの娘の目当ては僕だった。
「あの娘には僕も(私も)手をやいている」
これまで出会った1/3くらいの人はそう話す。僕はこれからの人生をあの娘に振り回されるのか。やれやれ。
でも僕は分かっている。あの娘だって好きで人を振り回しているのではない。あの娘が生きていくためには仕方のないことなのだ。
△ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽
僕はなるべくあの娘に振り回されないように、毎年1月になると万全の対策を施している。
あの娘に在宅が知れないように洗濯物はベランダに干さず、部屋干しにする。
外を歩く時は常にマスクとメガネで変装し、僕だと悟られないようにする。
あの娘はすれ違いざまに悪戯をする。突然の悪戯でダメージを受けないように飲み薬を飲む。あの娘に会う2週間くらい前から予防的に飲み始めるといいらしい。
あの娘の悪戯は目にも刺激になる。飲み薬と同じでこれも2週間前からさし始める。
しかし、これだけの対策をしても、あの娘の影響はいくらか受けてしまう。僕は大量の柔らかティッシュを買い込んでその時に備えておく。
そして先週のはじめ、あの娘はやってきた。
すれ違いざま、僕は大きなダメージを食らった。鼻水の洪水が突然はじまり、慌ててティッシュで押さえた。そして何度も鼻をかむ。永遠に止まらないのではないかと思うほどにその鼻水は続き、お気に入りの机の上は、湿ったティッシュで埋め尽くされた。
そして、ひどく喉が痛んだ。蜂蜜と白湯で喉を潤すも、声は掠れたまま治らない。
そんな調子が1週間も続いた。
あれだけ抜かりなく準備をしたにも関わらず、僕は例年以上のダメージを受けた。あの娘の能力が増し、いつもの変装ではバレるし、薬もあまり効かなくなっている。
△ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽
同僚のSさんも、毎年あの娘に振り回されている。
先週、僕は大きなダメージを受け、何度も鼻をかんでいたのに、Sさんは平然としていた。
「あの娘じゃないんじゃない?」
Sさんは唐突に言った。
調べてみるとあの娘はまだ殆ど姿を見せていないらしい。あの娘でなければ誰なんだ?僕にこんなにもダメージを与えているのは。
あの娘の情報と共に、あいつの情報が載っていた。あいつはもう、結構な勢いでやって来ているらしい。
あの娘のせいだとばかり思っていたけど、今回の僕のダメージはあいつのせいだったのかも知れない。
あの娘=スギ花粉
あいつ=PM2.5