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不登校という3文字の裏に

娘の頭痛が出始めた時のことは今も思い出すと胸が苦しい。

夜寝る前になると頭が痛くなってくる。

今日の頭痛はどうだろうか、学校に行けるだろうかと朝起きた瞬間から不安でドキドキする私。

案の定、目を覚ました瞬間から「頭が痛い」と言って起きてくる。本当に第一声が「頭が痛い」。

そんな娘をなんとか奮い立たせて学校に送り出した。先生に途中で様子を聞いてもらい無理そうなら早退させてもらった日も数多くある(先生ありがとう)。それでも、本当に無理そうな日は休んで。

試せるものは何でもトライした。小児頭痛外来、漢方、頭痛に効く高額な枕、保険適用外の整体、ラジオ体操…頭痛がなくなって学校に行ってくれるならという望みを託して。

4年、5年の時は毎日朝一に電話をして遅刻することを告げ、この授業なら行けるかと相談し、2時間(時には1時間)だけ教室まで送り届け(遅刻早退は親が教室まで送迎要)、1時間半後にまた迎えに行く。ちょっとでも行ってくれるのがうれしかった。

先生がどうしても嫌になってしまった4年生の後半は、学校の前まで来て「やっぱり行けない、頭が痛い」と苦しみ泣く娘を見ながらも、無理やり叱咤激励し、それでもダメなら娘に聞こえるくらいの大きなため息をついて、家に戻り、学校に電話して休むことを告げる。

フルタイムで働いていたらこんな対応は私には絶対できなかっただろうし、精神的にもっともっと追い詰められただろうなと思う。

片頭痛持ちの私は「頭痛」の痛さをわかっている。わかっていた。それでも、決して効くことのないカロナールを飲ませて、なんとか学校に行かせようと必死だった。

その頃から初詣では「頭痛がなおりますように」と願っていた娘 (泣)。

甘やかして「学校になんて行かなくていいよ~」なんて決して言えなかった。

このまま無理をさせたらどこかから飛び降りて死んでしまうかもしれない、そこまで追い詰められたから休むことにしただけ。

8才、9才の子が朝起きた瞬間から寝るまで頭が痛い、それがどんなに辛いことか。薬では治らない頭痛。

「不登校」という3文字の裏には、それぞれ家庭によって違う親と子の日々の葛藤がある。当事者にならないとわからないことがある。

医療ケアが必要なお子さんを持つご家族もそうだし、自宅で介護をされている家庭もそうだろう。想像する以上に大変な日々だと思う。

そして「頭が痛くて学校に行けないから休む」ことになって1年。

今も気圧の変化や人ごみに入るとたまに頭痛は出るけれど、カロナールを飲むと和らぐ。精神的な理由からではなく、薬が効く本来の頭痛になった。

寝る前も朝も「頭が痛い」と言わなくなった。

笑顔も増えて、合うフリースクールもみつかって、娘なりに楽しく生きている。かと言って学校に再び行けるようにはならない、それも現実。

誤解のないように言うと、先生方にはとても感謝している。6年間、計6人の先生にお世話になったけど、不登校になってからは娘だけではなく私にも寄り添ってくれる先生が多く、感謝しかない。

幸か不幸か娘の送迎で普通の親よりもクラスの様子を見る機会があったけれど、先生も頑張って教えてるし、休み時間には楽しそうに子供たちと遊んだり笑っている。時にはびっくりするくらい大声で怒鳴っている先生もいたけれど…そういうのは極まれだと思っている。

子供のいる先生とは、好き嫌いが多くて困るという悩みで盛り上がるし、顔を合わせる度に娘の様子を聞いてくれる元担任の先生もいる。とてもありがたい。

親以外の第三者との触れ合いをできるだけ増やせればよい、と小児頭痛外来の先生が言うように、学校には登校できなくても、これからもフリースクールだけではなく、習い事を続けて、色々な人と触れ合ってくれたら。そしてそれが続くように…それを願うばかりです。




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