【あれこれ】不登校高校生、旅をする。
不登校当時、一度だけひとり旅をしたことがある。高校3年生の夏だった。卒業の危うい全日制で踏ん張るか、通信制に移ってとりあえず高卒を取るか、そんな狭間の時期だった。相変わらず心は不穏なままだったし、今いる場所で踏ん張りたくともやっぱり空回って下を向く日々。結果的に俺は通信高校に編入することになるのだが、旅はその少し前——夏本番に入りがかっている七夕の翌日に発生した。
学校に行かず、自転車で街をふらついていた「あれ」も、ひとり旅と言えるのかもしれない。感覚としては近いと思う。とはいえ精神的にも身体的にも参っている高校生なんて大した距離を移動できない。同級生には会いたくなかったので小学校の学区から少し外れた低層な建物が並ぶ繁華街を浮浪する。できることなんてそれくらいだった。バスも乗らないし電車も乗らない。もちろん車やバイクもない。今いる場所を抜け出す手段もなければそもそもその意志もなかった。
だから旅をすることになった発端は自分ではない。母親だった。リビングで野球中継を見ていた俺に、費用を出すから一度球場に行ってみたらどうだと母は提案した。野球は高校時代唯一ハマっていたものといっていい。小学校6年でプロ野球を知り、中学では晴れて野球部に入部したものの即いじめられた。下手すぎてフライすらろくに取れず3年間怒鳴られ続けた忌まわしきスポーツ。のことが、なぜかまだ好きだった。まあ観るのとプレイするのは違う。学校に行かずたいした興味の対象もなかった自分にとって、プロ野球観戦は数少ない心のオアシスだった。どこかひとつのチームを追った方が楽しいと気づき、不登校期間中最初で最後の趣味「千葉ロッテマリーンズ」を心に設定する。そこから約一年後に母の提案。かくして俺の「千葉・ZOZOマリンスタジアム旅行」が決定した。
七夕の翌日、とよく覚えているのは七夕の日にマリーンズが大勝したからである。Xデーを7日か8日で迷って後者を選択したものの、前日に試合速報を見て愕然とした。日帰りではあったが電車の乗り換えや前売りチケットの確保など自分でするには初めての経験ばかり。緊張はあった。けれど少しだけ「自分の興味があることをしている」という実感もあった。必要な用具とコアラのマーチをリュックに詰め明日に備える。その夜はいつもよりすんなりと眠れたと思う。
夜が明け、いよいよ旅が始まった。まずは新幹線で東京駅へ向かう。その後、電車でスタジアムのある海浜幕張を目指す。1人で新幹線に乗るのは初めてだった。乗り換えの東京駅では、人がたくさんいるなあとベタなことを思ったし、京葉線のホームまで異常に距離があることも初めて知った。幸い大きなトラブルもなく、デーゲーム開始の1時間ほど前、13時に幕張へ降り立つ。
電車の発車メロディーが球団歌だった。駅前に球団マスコットのモニュメントがあり、その先には監督の顔写真と選手のボブルヘッドがあった。何より、周囲の人間が全員ユニホームを着ていた。普段、学校に行けず趣味の話をする友達のいない俺にとって、また地元とは馴染みのない千葉の球団を応援していた俺にとって、この光景は衝撃だった。本当に実在するんだな、とまで。舞浜よりもずっとファンタジーな世界が不登校高校生の目の前に広がっていた。
感動しっぱなしのまま歩みを進めると、ついにスタジアムに到着する。うおお、と思った。さすがにあの興奮は言語化できない。どうしようもない現状から目を逸らし毎日試合を見ていた自分からすると、このZOZOマリンスタジアムはメッカだったのだ。神々しくもなる。球場内は、人、人、人。聞き耳をたてれば誰もが野球の話をしている。住んでいるところから何百㎞も離れているのに、ここがとても身近な世界に感じた。少なくとも、家や学校なんかよりは。
一塁側にあるマリーンズベンチをよく見るため、三塁側の席を取ったがこれは単純に失敗だった。テレビ中継では意識していなかったが、どうやらこちらのスタンドは敵チームのファンが集結する席らしい。肩身は狭かったものの、「肩身が狭い」なんていつものことである。相手球団の帽子がひしめく中、いよいよプレイボールがかかる。
相手チームの先制から試合は始まる。マリーンズは序盤、あまりいいところがなかったが、普段観るものと同じルーティンで勝負に挑む選手達を見ると、なにか「答え合わせ」をしているような感覚になった。家にこもっている時には久しく味わえなかった感覚である。
試合は中盤、大きく動いた。マリーンズ先発の酒居(現楽天)がボークによって追加点を許した。「ボーク」とは、簡単に説明すると野球における反則行為のことである。プロでは滅多に見られないプレイに、場内はこの日最大のどよめきが起こった。即座に目の前に座る男性の野球講座が始まったのを見て、このスタジアムにいる何組のペアが講座を開いたのだろうかとぼんやり思った。当然、俺には解説する相手なんていなかったし、頭の中でルールを反芻するだけで終わってしまうのはなんだか寂しいことだなと感じた。
その後も連打を浴び、終盤を迎える前にすっかりマリーンズの負けムードがただよう中、2000本安打まであと数本に迫っていたベテランのヒットや、助っ人外国人の気迫のタイムリーなど見どころはあった。最終回にはチャンスをつくり、念願のチャンステーマを聞くなどとても満足いく時間だった。試合は敗戦。それでも来てよかったと思った。帰りは興奮のままグッズショップに入りユニホームを購入しようと考えていたが、買うと新幹線に乗れなかったので、次来る時は絶対にたくさんお金を持っていこうと決めて球場を後にした。
最後に、この日得た最大の発見を記してこの文章を締める。あの頃、目を皿のようにして見ていたこの聖地は、実際に訪れてみると「穴ぐら」のような場所だった。思っていたよりも薄暗いというか、こぢんまりしているというか、そんな雰囲気を持っていた。大したことないと罵りたいわけではない。ただなんというか、「自分が画面越しから感じていた以上に開かれた壮大な空間」というわけでは決してなく、規模は大きいながらにひとつの野球場であり、そこにいる人も自分と同じひとりの人間だった。それに少し拍子抜けした。
外の世界や人との関わりが減ると、自分の知らないものを過大に評価し恐れてしまう。スタジアムがスタジアムでしかなかったように、自分の抱える問題や不安も必要以上に大きく見えているのかもしれないと、当時数少ない信頼できる相手だった塾の先生に話すと、それはよい経験をしたねと彼女は言った。
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