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【あれこれ】母校・シカゴ日本人学校での講話から


幼少期をアメリカ・シカゴで過ごした馬場さん。母校での講話を通して当時を回想します。(スタッフ・古川)






シカゴ日本人学校で講話して〜過去から今、そして「未来の君へ」〜


皆様、こんにちは。能登半島の地震から約数週間経ちましたね。
多くの負傷者や死亡者が出て、当時小田原に住んでいた際、東日本大震災を体験した僕としても他人事ではないと思っております。
1日でも早く事態が収束されることを願っています……。

さて先日、僕がアメリカのシカゴに住んでいた時、幼少期の頃通っていた日本人学校で去年の9月、OBとして後輩たち(小学5、6年生)に授業で自分の体験を話す講話をしました。その記事が『不登校新聞』内で公開されました。

日本人学校(シカゴ双葉会日本語学校全日校)HP↓

『不登校新聞』記事↓

記事では、日本人学校の概要、2歳から9歳の間、シカゴで過ごした経験と日本に帰国してから不登校になった経験、そして講話して自分の人生を総括し、僕の心境がどのように変化したか……といったことが詳しく書かれています。

講話では、自分がシカゴに住んでいた経験、帰国してから不登校になった経験、高校から僕が行なっていた俳優、ライター活動の話や、その活動を通して出会った著名人(アニメ『ポケットモンスター』のサトシ役の松本梨香さん、『星のカービィ』『大乱闘スマッシュブラザーズ』の生みの親でゲームクリエイターの桜井政博さんなど)の話をして「人との繋がり」の大切さを後輩たちに伝えました。

今回のnoteでは、この記事の補足としてシカゴの環境や日本人学校の現状、僕が在籍していた時の学校当時の授業や活動、僕自身の不登校体験の掘り下げ、さらに今までのそれらの体験を総括して考えている自分の想いや願いなどについて詳細に書きました。



シカゴの環境


僕は以前、シカゴではアーリントン・ハイツという所に在住していて、緑豊かで青空が美しく、空気も綺麗な場所でした。家はタウンハウス(集合住宅)の1つとして建っていました。周りはアメリカ人の方が大半でしたが、数人僕ら家族以外でも日本人の方々がいました。日本人同士ということもあって、お互いの家を行ったり来たりして交流が深く続いていたところもありました。家内は日本の家の倍の広さということもあり、学校の同級生が遊んだり泊まりに来る場としても最適な所でした。

(以下の写真は、2021年時、シカゴに行った時に撮ったもの)

シカゴ在住時の家


タウンハウスの庭

当時、日本に帰国した後は埼玉の家に住んでいましたが、シカゴのタウンハウスと比べると、狭いマンションで自分の部屋も窮屈な温かい日光が入らない閉鎖的な空間だったということもあって、ストレスを大きく抱え、起立性調節障害(自律神経失調症の一種)を患いました。学校に通うのがきつくなった1つの原因です。

ちなみにタウンハウスの近くには、KOHL'Sといった生活用品や洋服などを売っている大きなお店があってそこをよく利用していました。
タウンハウスから車で15分ほど移動した場所には、Mitsuwaという牛肉や鮭、お茶など様々な日本食を売っているスーパーがあります。フードコートやベーカリー、紀伊国屋といった所もある大きなお店です。


KOHL'S


Mitsuwa

そしてMitsuwaと同じく、タウンハウスから車で10分ほど移動した所に日本人学校があります。

日本人学校の入口


遊具がある日本人学校の校庭

日本人学校の現状

日本人学校で講話した後、メールで後日、教頭先生にメールで取材して日本人学校の現状について詳しくお聞きしました。
その回答を以下に記載します。(回答は、2022年9月時のもの)

・小学部から中学部の人数→小中合わせて106名。講話相手の5、6年生はそれぞれ約15名。中3は6名。最多のクラスは2年生で19名。

・生徒たちはどういう風に巣立って、どういう進路を辿っていきますか?
→小学部の児童は中学部か日本の中学校へ進学、中学部の生徒は、日本の高校に進学。

・僕らの代は、米社(アメリカ文化や歴史を学ぶ授業)、現地校との交流学習などを授業でやり、アメリカの文化 や歴史を学んでいて、日本人学校の特徴の一つだと言えました。今だと交流学習はどのようにやっているのでし ょうか? また、米社の授業はなくなったとお聞きしましたが、代わりに英語の授業でアメリカの文化や歴史など を学んでいるのでしょうか?
→交流学習は、相手校に1回訪問し、1回来校してもらって、文化交流を行っています。 米社というカリキュラムはないですが、それぞれの先生方が、総合的な学習の時間にアメリカ社会や文化の理解 を展開しています。

・日本人学校は、僕らの代の時、運動会や文化祭(現・双葉フェスティバル)、ハロウィン、メジャーリーガーだった井口資仁さんや福留孝介さんといった著名人の人を呼ぶなどイベント 活動が盛んな印象が強かったですが、今はいかがでしょうか? 
→コロナが収束してきたので、今後は、盛んにしていきたいと考えています。運動会、双葉フェスティバルは、行って います。

・修学旅行は、現在何年生がどこに行っていますか?
→6年生はワシントン、中3はボストンで2泊3日です。

・教育面で日本の学校と差別化している点、または合わせている点はありますか?
→基本的に日本国内と同等の教育を行っています。英語の授業時数が小1から4時間、中学部は5時間あり、そこ が本校の売りです。

・コロナ禍前と今とでは、授業の様子はどのように変わっていますか?
→ICT が整備されて、活用する機会もスキルも高くなっています。遠隔での会議も抵抗なくできるようになってい ます。

・補習校は、全日校と比べてどのようなことをやっているのでしょうか?
→基本的には、国語と算数だけの授業を 提供し、運動会、日本文化的なことも行っています。

・先生それぞれでやりがいを感じている部分、また逆に苦労していることは何でしょうか?
→文科省の認定を受け るために、独自の独創的な教育課程を実施できないのが実情です。もちろん、それが使命ですので、仕方ないで すが、もっともっとアメリカ文化の理解を進めてもいいと個人的に考えています。

学校の過去の授業や活動について


講話の中でも運動会や文化祭、ハロウィンなどのイベント活動を話しました。今の生徒たちも同じことを行っているので、共感しやすい話かと思いましたが、講話の中で生徒たちと話していて興味深かったのが当時と今の違いでした。文化祭は今「双葉フェスティバル」という名称に変わり、当時ハロウィンでは仮装をして各教室にいる周りの先生から色々なお菓子をもらうのが特徴だったのに対し、今はお菓子をもらう習慣はなく、ただ仮装をするだけということでした。時代の違いを感じます。
当時、こういったイベント活動に全員が一丸となって取り組んでいたのはとてもいい思い出です。

文化祭時の写真。小学2年生の時は、『スイミー』を題材にしました
小3時のハロウィンの集合写真

米社のアメリカ文化や歴史を学ぶ授業では、大統領のジョージ・ワシントンエイブラハム・リンカーン、牧師であるマーティン・ルーサー・キング・ジュニアなどについて学んだりして、今でも知識として役に立っている内容です。
現地校との交流学習では、アメリカ人の同学年の子たちと交流を深め、英語も学べる貴重な機会でした。

ワシントンとリンカーンの教材


キング牧師の教材

元メジャーリーガーの井口資仁さんや福留孝介さんが講演に来たことがあり、当時野球をやっていた僕ら生徒に野球の技術を丁寧に教えてくれたこともあります。
井口さんは、当時所属していたシカゴ・ホワイトソックスの試合に全員を招待してくれました。
こういった経験は日本人学校独自のもので、日本では味わえないことであり、今でも大切な宝物だと思っています。


井口さんとの集合写真


福留さんとの集合写真

今振り返ると、こういった井口さんや福留さんらと出会った貴重な経験があったからこそ、今も俳優やライター活動などを通して様々な著名人の方と会いたいという動機ができたのだと思います。

松本梨香さんや桜井政博さん以外に会った方々だと、NHKのドラマで共演し、『鎌倉殿の13人』に出演した金子大地さん、『バッテリー』や『NO.6』の作者のあさのあつこさん、『かいけつゾロリ』の作者の原ゆたかさんなども講話の話題に上げましたが、こういった人並みとは違う経験を積まれている方々の「言葉」や「目線」というのは心に大きく響くものがあります。
特に僕は、幼少期の頃から『カービィ』『スマブラ』『ポケモン』などといった作品には強い愛着を持っていて、不登校を経験していた時、そういった作品に救われたからこそ、自分のアイデンティティにもなっています。
なので、松本梨香さんや桜井政博さんなど、自分の原体験のルーツと関わりのある方と会って「繋がる」ことには、こだわりを持っています。

日本人学校のHPで後輩たちに送る「先輩からのメッセージ」というのがありますが、そこでも講話で話した自分の経験を踏まえて「人との繋がり」の大切さを想いに込めました。

日本に帰国してからの喪失

※以下の文は、僕自身の不登校経験をより掘り下げるセンシティブな話を多く含んでいるので、読む際はご注意ください。読むのがきつく感じる方は、どうか迷わずお控えください。
それでも、その不登校経験を踏まえ、自分の想いや願いを込めている内容も記載いたしました。読んでくれる方は、最後までお付き合いしていただけると幸いです。

シカゴの環境や学校での授業などを紹介しましたが、日本ではまず見かけないほど緑豊かな充実した環境で、一緒に遊べる友だちも多かったからこそ、日本に帰国してからの喪失感やショックは、日々感じていました。
小学3年生という、区切りが中途半端な時期に帰国したからこそ、よりそう思いました。

日本に帰国した後、環境が大きく変わったことでカルチャーショックを受け、同級生や先生からの暴行や言葉による暴力などもあり、小学4年生〜高校1年生の間まで断続的に不登校を経験しました。
特に帰国した直後は、言語による混乱があり、同級生とコミュニケーションを取ることがきつく、いじめられる原因の1つにもなりました。

また、アメリカでは弁当で自分の食べる食べ物を親に希望して、自由に選ぶことができました。しかし日本は給食なので、食べる食べ物を選ぶことができませんでした。僕は野菜を食べると吐いてしまう体質なのに、先生が給食で野菜を残すことを許さず、強制的に食べないといけなく、それによって何度も吐きました。

帰国子女ということもあって偏見の目で異端扱いされ、何度か転校も繰り返しましたが、どの学校でも「悪魔」「ばいきん」「死ね」などと罵声を言われ続けることも多かったです。
中学の時は、机や筆記用具を度々壊され、下着を脱がされたり、ロッカーに閉じ込められて、ナイフを向けられたこともあります。
酷い時は、集団窃盗や校内の窓ガラスや教室全体の机、水道が壊され、学校が休校になったこともあり、大きなショックを味わいました。
こういった抑圧された反動で僕は、攻撃的な衝動が出て、同級生などに罵声や暴行を加えた経験があり、その過ちを今では非常に後悔しています。

日本では、全体を1つの枠にはめようとする傾向が強いので、自由な環境で人と接するのもフレンドリーだったアメリカと比べると、空気感や距離感を考えないといけず、そこに合わせられない僕は、自分が日本人なのかアメリカ人なのか、何者かわからない感覚になり、大きな葛藤を抱えました。
「自分なんか消えた方がいい」と何度も思いました……。

こういったことで学校に行くことができなくなり、寝込む状態になって人と関わるのが困難な状況が続いたからこそ、一般的に子どもから大人に成長するステップを踏めなかったという苦しさも多々ありました。そういった経験で体や心を崩し、適応障害、不安障害にかかり、何回か自殺を考え、しようとしました。

今でも当時のことがフラッシュバックすることがあり、シカゴで楽しかった思い出が逆に「あの頃」に戻れないということで、例えその後アメリカに度々行っても、苦しく感じることがありました……。
もう一度、「あの頃」に戻って友達と純粋にまた楽しく遊ぶ日々を過ごしたいと何度も願い、今でもそう思います。

それでも「自由」になるために

今でも僕はこういった心の傷が残っており、以前コロナにかかったこともあって適応障害や不安障害などの症状も酷くなり、半年以上寝込んでいました。
今はなんとか動けるようになり、ライター活動を中心に行い、俳優の方も少しずつ再開しようと思っていますが、コロナの影響もあり、頭痛や吐き気、倦怠感、味覚の違和感などが日々続きます……。

その状態でも、自分に何かできることはないかと模索しながら生きています。帰国子女で不登校を経験し、様々な苦難に直面したからこそ、同じような苦労をしている人のためにできることを1つずつ積み重ねていこうと誓っています。

過去に自分のできることとして、学生団体や環境保護のボランティアなどに関わったことがあり、今は『不登校新聞』以外だと「アクセプト」というソマリアやイエメンなどのテロや紛争問題の解決に当たっているNPOの団体にアンバサダーとして関わっています。

また、ライターとしても、今誰もが知っているある作品の取材に取り組んでいます。不器用な僕ですが、そういった活動を通して次の世代に何かを伝えたいと思っています。

今のご時世、コロナ禍やウクライナ戦争などを経て先行きが見えない世の中になり、不登校者数も29万人を越えて過去最多になり、生きづらさを抱えている人が多いです。
そういった世の中だからこそ、壁の中に閉じ込まれているような感覚から「自由」になりたいと思うのが僕の一番大きな願いです。

過去は過去、今は今という割り切った考えが僕はどうしてもできないので、過ぎ去ってしまった過去から少しでも、今に結びつけることを試みて、報われたいと考えています。

過去から今、そして「未来の君へ」

最後にこの言葉を残します。これは、「人との繋がり」によって自分の想いと他人の想いが分かり合えた経験と、逆に不登校中、自分が過去に人から裏切られたり、自分の想いが相手に届かなかった経験を踏まえて、拙いですが、今の僕が次の世代に伝えられるものかと考えた言葉です。

例え、100回中99回自分の想いが裏切られても、最後の1回までに自分の想いが届くよう尽力する気持ちがきっと「未来の君へ」繋がる



この寄稿者の前回記事↓




○寄稿者募集!

不登校ラボでは、連載【あれこれありましたが、】をnote内にておこなっています。

ここは、人生のはやいうちにつまづいてしまったさまざまな人が集まり、創作や出会いを通じて当時をもう一度ふり返る人生の研究所。かつてかかっていた”もや”を、いまのあなたが観察するところです。

寄稿連載【あれこれありましたが、】では、当時行きづまっていた私たちがいまどうやって生きているか。あれこれありましたが、よろしくやってる方々の日常や思考を寄せてもらい、連載しています。

読者からも寄稿作家を募集しています。学生時代に挫折をもつ人(不登校経験がなくても構いません)、学校に行きたくなかった日が1日でもある人、自分の文章をこの場で書いてみたいと感じる方は、ぜひ、スタッフ古川までご一報いただけますと幸いです。たくさんの方々のご参加、お待ちしております。
メール:kansinken723101659@icloud.com

企画の詳細は以下記事から↓
https://note.com/futoko_rabo/n/n787d569fca3b

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