【あれこれ】不登校で失ったものと今の思い
はじめまして。私は、現在社会人7年目のユカと申します。
中学時代、約2年間不登校でした。
このような寄稿の機会を頂き、大変嬉しく思います。
「不登校だった自分は今どんな生活をしているのか」を記したいと思っているのですが、
必然的に過去のことがメインになってしまいそうです。ご了承ください。
まず、私は中学に入学して初日、隣の席になった男子に机を離されました。急に。初対面で。
おそらく私の第一印象がその人にとって癪に障ったのでしょう。
その日から、その人の近くにいると避けられたり逃げられたり、「キモイ」など不快な言葉を言われたり、私が触れたものは触れようとしなかったり。おおっぴらではないけどお互いだけが分かるよう密かに行われていました。でも近しい人は気付いていたと思います。相手はクラスを仕切るリーダー格のような人だったので、いつ周りに気づかれて広まるか、毎日怯えて過ごしていました。授業中は席移動がない限りずっと自分の席にいればよかったし、先生もいるからそんなことはできないので、「ずっと授業だったらいいのに、休憩時間なんてなければいいのに」と思っていました。
そんな中、いっしょに帰ったり休憩時間に話したりしていた女子に急に態度を変えられて仲間外れにされるという事案が起きました。そこで完全に心が折れ、「もうあんな地獄の中に毎日行くのは無理」と翌日から不登校になりました。
それが中1の2月のことです。
その後、中2の5月から支援センター(適応指導教室)に通い始め、そこで友人や先生に恵まれて楽しい日々を送りました。
支援センターでエネルギーをチャージしたおかげで、中3の最後は高校のため+担任の先生の圧もあってほとんど教室で授業を受け、卒業式にも出席し、第一志望の高校にも合格して、中学校生活はなんとか終わりました。
高校卒業後、大学に進学、いろいろありましたが無事卒業して今に至ります。
さて、今の思いを。
不登校になったことで失ったことはたくさんあります。
修学旅行、文化祭、運動会、部活、クラスメイトとのおしゃべり、授業など…普通の中学校生活を送っていれば経験することをしていません。
それによって、人と話が合わなかったことはたくさんあります。
だからといって「私、中学行ってなくて~」と話すこともなく、仕方なく嘘をついたこともあります。後々面倒くさいことになりますが。
また、「私は人に嫌がられるような人だ」という思いがどこかにあって、自分で言うのもなんですが自己肯定感はかなり低いほうだと思っています。
仕事では、他の人であれば難なくこなせることも自分にはできない、難しい…と感じることが多いし、普通ならこんなに考えないだろう、悩まないだろう、と思われる(個人的に)ことを変に考えこんでよく負のループに陥ります。
前職でも現職でも、相談しても「気にしすぎ」「考えすぎ」の一言で終わりました。それで納得できればどんなに楽でしょう。
このように、物理的にも精神的にも「周りとのズレ」は感じています。
中学時代って思春期まっただ中、学校生活や人間関係でいろんな経験、失敗もして成長していく期間だと思います。人間関係の築きかた、人との接しかた、物事の考えかたなど、クラスや部活の中で荒波に揉まれながら知らず知らずのうちに学んでいくことは多いと思うので、それが抜けているのは意外と今に響いています。
あのとき、学校に行き続けていたらどうなっていたか、昔はよく想像していました。
「嫌がらせに立ち向かって頑張って学校に行き続けた」という自信がついて、違う高校、大学に行って、今の生活はもっと充実していたかもしれない。
または、心が限界までボロボロになっていたかもしれない。
答えはわかりません。
でも、結果的に不登校になったから得られた経験やモノもたくさんあって、それが今の生活につながって生きる支えになっているので、今の生活は悪くないかな~と思っています。
その「支え」について、今の生活も交えてお伝えできたらと思います。
そして読者のかたに何かを感じていただけたら幸いです。
どうぞ、よろしくお願いいたします。