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身内が情弱で炎上している作家で感動オナニーしてた件

私の家族は情弱だ。

未だにインターネット検索はYahoo!でするし、iPhoneを使っているのにApple IDのパスワードを知らないし「あなたに1000万振り込ませてください!」という迷惑メールには引っかからないけど「Appleからの請求です」という偽装メールには恐れおののき「これどうしたらいいの…?」と電話をかけてくる、その程度の情弱だ。

今のは全て母親のエピソードだが父親も同程度だし、兄も「課金の仕方がわからないからソシャゲはしない」といっている。(ソシャゲはしないに越したことはない)

そんな家族と先日電話で話していた。このコロナの影響で大型連休でも田舎に帰省ができない、等の話をした後、ひょんなことから最近泣いた話になった。私は最近見た「映画すみっコぐらし とびだす絵本とひみつのコ」で爆泣きしたことを話した。マジで泣いた。年々涙もろくなっている。対して兄はこう言った。

「お前、『ママがおばけになっちゃった!』って絵本知ってる?あれやばかった。」と

流石にえっあのインターネットでバチボコにぶっ叩かれてる絵本作家のやつ?とは返せなかった。正直彼については燃えてることぐらいしか知らなかったし、違う似た絵本かもしれないという希望も込みでへ〜どんな絵本なん?と知らん体で聞けば、兄はインターネットでバチボコにぶっ叩かれてる絵本作家の絵本について話し始めた。


身内がインターネットで炎上している、非難されているものを、嬉しそうに語っている。


非常に奇妙で、無性に居心地が悪かった。その話題は私の反応の悪さもありすぐに流れ、電話自体もすぐに終了した。

その後どうにもモヤモヤして、自分で観測できる範囲で調べてみた。絵本のみならず作家自身の問題が数多く存在する、という指摘が至るところで見受けられた。そして兄のように絵本単体を好意的に見ている人達の声もあった。作家を問題視する人々が好意的に絵本を楽しんでいる人向けに注意喚起するような発言も少なくない量で存在していた。(絵本の内容がアレで自分で物事を選択できない子供に読ませるのは横暴、という指摘もありましたが長くなるので割愛)

個人的な見解として作家の問題行為、発言に関してはアチャチャ…としか言えない。アチャチャ。

そもそも本、特に文芸本は著者の思想が強く出やすいという特性があると思う。つまりは作家の人格と作品との距離が近い。だから作家に問題があればそれに対する非難の火の粉は作品にも降りかかりやすくなる。

これに対して私は「作者と作品の距離が近い以上、作者と作品を紐付けてしまってもいい」と思う。そして同時に「作者と作品に距離が存在する以上、作者と作品を紐付けなくてもいい」とも思う。

どちらの人間がいてもいい、という考えでもあるし、ひとりの人間に対してもこのダブルスタンダードはグラデーションとして利用してもいい、という考えでもある。雑で乱暴だが多様性だ。

兄はこの炎上について知らなかった。絵本に対してフラットに接し感動したのだろう。その感動はもちろん誰にも否定できない。

そして、それを聞いた私の「作者がアチャチャならその絵本に対してもうわ〜…と思ってしまう」感情と「絵本に対する好意的な意見は、作者の個人的な問題を肯定するものではない」という意見もまた両立しうるし否定もできないのではないだろうか?こじつけ感はすごいが。

家族の流した涙を濁ったものにしたくない、というエゴで遠回りをしてしまったが、自分の中で一応、拙いが結論が出た。しかしこれで満足してはいけないと思う。今してきた思考のリレーは、タイムが速ければ速いほど、精度を高めれば高めるほど、自分が心地よい気持ちでいられる時間が長くなると思う。そういう思考の持久力だったり技術だったりを会得したい。屁理屈陸上部のコーチ、どこかにいない?

それにしてもまあ、どんなに情弱でもApple IDのパスワードぐらいは覚えていて欲しいものだな。すみっコぐらし〜パズルをするんです〜がDLできないじゃないか。

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