両論併記による歴史改ざん【セイスケくんのエッセイ】
両論併記による歴史の改ざん:関東大震災朝鮮人虐殺事件
背景
関東大震災の際に発生した朝鮮人虐殺事件は、日本の歴史の中で非常に重要な出来事の一つです。日本が朝鮮を併合して13年が経過した1923年、日本人の間に根強い差別意識と、朝鮮人の反発への恐れが存在していました。この恐れが、震災後の混乱の中で朝鮮人に対する虐殺という形で表面化しました。
追悼式典の変遷
毎年行われていた朝鮮人犠牲者の追悼式典は、近年大きな変化を迎えました。2017年、東京都の小池百合子知事は、朝鮮人犠牲者の追悼文を送ることを停止しました。これは、震災で亡くなった全ての方々への慰霊を表現するためだとしていますが、これに対する批判は強いです。実際に、過去には石原慎太郎氏が追悼文を送っていたのに対し、小池知事の決定は多くの批判を呼びました。
現場での混乱
2019年、筆者は現場で取材を行い、その混乱の一部を目の当たりにしました。追悼式典の隣で、朝鮮人の虐殺はなかったと主張する集会が開かれるようになり、追悼の場が妨害されるという事態が発生しています。このような妨害行為は、追悼式典の本来の静謐な雰囲気を壊し、多くの人々に不快感を与えました。
歴史修正主義の影響
一部の団体や個人は、関東大震災における朝鮮人虐殺を否定し、事実を改ざんしようとしています。これに対し、正確な歴史の認識を持つことの重要性が強調されます。虐殺の事実を認めることは、日本が未来に向けて正しい道を歩むために必要不可欠です。
ジャーナリストの役割
メディアは、両論併記の原則を守りつつも、フェイクとファクトを同列に扱うべきではありません。関東大震災における朝鮮人虐殺の事実を否定する動きに対して、正しい情報を提供し続けることが重要です。
集団心理の危険性
関東大震災時に発生した虐殺事件は、集団心理の危険性を示しています。集団の中で個人のモラルや判断能力が失われると、普通の人々が残虐な行為に及ぶことがあります。この教訓を生かし、同様の悲劇が再発しないようにするためには、歴史の事実を認め、正しい教育を行うことが必要です。
結論
関東大震災の朝鮮人虐殺事件は、日本の歴史の中で忘れてはならない出来事です。追悼の場を守り、正しい歴史の認識を持つことが、未来に向けての第一歩です。メディアや教育機関は、正確な情報を提供し続ける責任を負っています。
このような歴史の事実を改ざんする動きに対して、私たちは警戒し、正しい歴史認識を広める努力を続けるべきです。未来の世代にこの教訓を伝え、同様の悲劇を繰り返さないために、歴史の真実を守ることが重要です。
世の中には、「平等」が美徳だとされることが多い。しかし、平等が必ずしも正義を意味しない場面も存在する。その典型的な例が、両論併記の問題である。これは一見、公平な報道姿勢のように見えるが、実はその背後にいくつもの問題を抱えている。
まず、両論併記の最も大きな罠は、「均衡の錯覚」だ。これにはちょっとしたトリックが潜んでいる。例えば、地球温暖化の問題を取り上げる際に、圧倒的多数の科学者が支持する地球の気温上昇説と、ほんの一握りの反対意見を同等に扱うと、読者は「どちらも同じくらい信頼できるんじゃないか」と思い込んでしまう。しかし、これはまるで、壮大なオーケストラと道端のストリートミュージシャンを同じ舞台に立たせて「どっちも音楽だよね」と言っているようなものだ。
次に、「専門知識の軽視」について触れよう。専門家というのは、長年の研究や経験を積んでいる人たちだ。彼らの意見をただの一つの意見として扱うことは、その分野における知識や洞察を無視することに他ならない。
例えば、医療の分野で、何年もかけて研究された治療法と、どこかの怪しいブログで見つけた代替療法が同じ重みで報じられたらどうだろう?信頼できる医者にかかるか、それとも胡散臭い治療法に飛びつくか、読者は混乱してしまうに違いない。
そして、「誤情報の拡散」。これが一番厄介。デマや陰謀論がまるで真実であるかのように紹介されると、一部の人々はそれを信じてしまう。例えば、「地球は平らだ」という主張が真面目に取り上げられたらどうだろう?そんな馬鹿げた話に時間を割くこと自体がナンセンスだが、さらにそれを信じる人々が増えると、社会全体に混乱を招く。
また、「時間とリソースの無駄」も見逃せない。科学的に明らかなことを証明するために、膨大な証拠を揃える必要があるのは時間の無駄だ。もっと有益な議論や解決策に集中すべきリソースが、無意味な論争に吸い取られてしまうのはもったいない話だ。
最後に、「真実の相対化」。真実は客観的であり、全ての意見が同等に価値を持つわけではない。しかし、両論併記によって全ての意見が平等に扱われると、真実がただの一意見に過ぎないという誤解が生まれる。これは、事実に基づく議論や政策決定を妨げる大きな障害となる。
両論併記は一見、公平で正しい報道姿勢のように見えるが、その実、多くの問題を内包している。均衡の錯覚、専門知識の軽視、誤情報の拡散、時間とリソースの無駄、そして真実の相対化。これらの問題を避けるためには、我々は情報の質を見極める目を養う必要がある。