![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/162352320/rectangle_large_type_2_1f8a22511ed019705a768080a3727f67.png?width=1200)
ロンドン・ミッドナイト・クロニクル【ショートショート】
大晦日の夜、ロンドンの古びた高級ホテルに、一人の紳士が現れた。黒いコートに身を包み、その姿は上品でありながらどこか影を引きずっていた。フロントでチェックインを済ませると、彼は無言で階段を上り、指定された部屋へと消えていった。その名はエヌ氏。誰もが一度はその名を耳にしたことがあるほどの有名人だったが、彼にはもう一つの顔があった――魔術を操る者としての姿だ。
部屋に入ると、エヌ氏はすぐさま鍵を二重にかけ、鞄から古い羊皮紙を取り出した。低く響く呪文の声が静かな部屋に満ちると、空気が震え、黄金の光が現れた。その光の中から姿を現したのは、天使ルミエル。その姿は神聖で美しく、同時に冷たく圧倒的な威厳を持っていた。
「未来の新聞を持ってきてくれ。」
エヌ氏が告げると、ルミエルは無言で頷き、机の上に厚い新聞の束を置いた。その日付はすべて来年のものだった。
エヌ氏は一つ一つのページをめくり始めた。未来の暗殺事件や経済動向に目を走らせ、やがて競馬の記事にたどり着く。そこには次のダービーの勝利馬が書かれていた。満足げな表情でメモを取る彼は、自分の計画が完璧に近づいていることを確信していた。
深夜、ホテルのボーイが部屋を訪ねてきた。
「何かご用はありませんか?」
「いや、ありがとう。ただ一つ教えてやろう。今年のダービーはこの馬が勝つ。覚えておくといい。」
にこやかに告げたその言葉は、彼なりの感謝の印だった。
しかし、その後、エヌ氏の手が最後の新聞にたどり着いたとき、顔色が変わった。そこには大きな見出しでこう書かれていた。
「エヌ氏、元日早朝に心臓発作で急死」
震える手で新聞を握り締めると、彼は叫んだ。
「そんなことがあるものか!未来なんて変えられるはずだ!」
だがその瞬間、胸に激しい痛みが走り、彼は声を詰まらせて床に崩れ落ちた。
翌朝、ホテルのスタッフが部屋を訪れたとき、エヌ氏は冷たく横たわっていた。机の上には新聞の束があったという証言もあるが、その後、それはどこにも見つかることはなかった……
![](https://assets.st-note.com/img/1731928349-OL2cGuU1ACsVjl8MPBmEebND.png?width=1200)
大晦日の夜に起きたこの奇妙な事件は、ロンドンの都市伝説として語り継がれている。そのホテルの名前は公表されていないが、関係者の証言や建物の特徴から、メイフェア地区のある名門ホテルではないかと言われている。
エヌ氏は生前、経済界や政界に深く影響を及ぼす存在だった。だが、彼の裏の顔についてはあまり知られていない。彼が密かに魔術や錬金術に精通し、未来を予知する方法を探求していたという噂は、彼の死後に拡散した。中でも天使ルミエルの召喚については、その名を記した古い羊皮紙が、後にオークションに出品されることで信憑性を帯びてきた。
だが、もっとも不気味なのは彼の最後の瞬間にまつわる奇妙な一致だ。彼が未来を変えようとして得た情報が、皮肉にも彼自身の運命を固定化してしまったという点だ。専門家の間では、「未来を知ることが、実際にはその未来を確定させる鍵となる」というパラドックスについて議論が行われている。
また、この事件の翌日、ホテルの従業員たちの間で奇妙な現象が報告されている。深夜、エヌ氏が泊まっていた部屋から低く響く呪文のような声が聞こえたという。そして、彼の部屋の鍵を開けると、誰もいない部屋の中央に微かな黄金の光が揺らめいていたというのだ。この現象はその後も数年間続き、その部屋は一般には公開されなくなった。
現在でも、この都市伝説を追い求める好事家たちがそのホテルを訪れることがあるという。彼らの多くは、エヌ氏が持っていた未来の新聞の行方を突き止めようとするが、いまだにその手がかりを得た者はいない。中には、未来の新聞の一部が地下市場で売買されているという噂もある。そこに記された情報を手に入れた者が、奇妙な幸運や災厄に見舞われたという報告もあるが、真偽のほどは定かではない。
さらに、不気味なことに、この話には続きがある。近年、ロンドンの別の場所で、未来の日付が書かれた新聞が発見されたのだ。その紙質や書式は古風で、まるでエヌ氏の時代に印刷されたかのようだった。その新聞には、未来の重大事件だけでなく、「来年、大晦日に再びエヌ氏が現れる」という謎めいた予言が記されていたという。
この話が事実だとすれば、エヌ氏は本当に死んだのだろうか?それとも、彼は死を超越する何かを手に入れてしまったのだろうか?
この都市伝説は、未来を覗き見ることの危険性と、人間がその運命に抗おうとする姿勢の儚さを物語っている。あなたがもし、未来を知る方法があるとしたら――その情報を信じ、活用しようと思えるだろうか?それとも、エヌ氏と同じ運命を辿ることを恐れるだろうか?