働きすぎたOLの、幽霊ライフ始めました。【ショートショート】
その女性は、ごく普通のOLだった。
しかし、月末が近づくたびに終電ギリギリまでの残業が続き、同僚たちの陰湿な噂話が彼女の耳に入る日々。心のすり減る感覚は止まらなかった。毎朝目覚めるたびに「いっそこのまま消えてしまえたら」と思うのが習慣となり、その考えはやがて「死にたい」という衝動に形を変えていった。
だが、電車に飛び込む度胸も、薬を飲む決意も持てず、彼女は途方に暮れていた。そんな中、ふとあるアイデアが浮かぶ。
「幽霊に祟られて死ねばいいんじゃないか。それなら誰にも迷惑をかけない。」
地元で有名な心霊スポットの噂が彼女の脳裏をよぎる。山奥の廃れたトンネル――かつて工事中の事故で十数人が亡くなり、その霊が今も夜な夜なさまようと言われている場所だ。彼女は、深夜その場所を訪れることを決意する。
夜の静寂に包まれた山道を一人進むたび、靴の下で砂利が乾いた音を立てた。その音はやけに大きく響き、背後から何かの気配が首筋をなぞるように感じられる。震える手で持っていたウイスキーボトルを握り締めながら、彼女は足を進めた。
やがてトンネルが姿を現す。その入り口だけが時間を凍らせたように静まり返り、月明かりすら届かない暗闇が口を開けていた。彼女は鳥肌が立つ寒さに耐えきれず、ボトルの栓を開けて酒をあおる。酔いが回るにつれて恐怖は薄れ、逆に大胆な行動に出るようになった。
「さあ、出てこいよ!幽霊!私ならここにいる!祟るならやってみなさい!」
彼女の叫びはトンネル内で空しく反響し、応えるものはなかった。ただ冷たい風が頬を撫でるだけだ。それでも彼女は諦めず、石を投げ、壁を叩き、トンネルの奥へと踏み込んだ。やがて酔いに負けてその場で眠り込んでしまう。
翌朝、鳥のさえずりと共に目覚めた彼女は、朝日に照らされたトンネルがただ静かであることに気づいた。
「……なんだ、幽霊なんていないじゃない。」
彼女は肩を落としながら帰路についた。
だが、それから数日後――オフィスの雰囲気が変わり始めた。周囲の同僚たちが彼女を見るたびに言葉を飲み込み、視線をそらすようになったのだ。その視線の重たさは次第に彼女の心を侵食していく。
昼休みにトイレの鏡を見ると、自分の顔に違和感を覚えた。肌は不自然に青白く、目の下には濃い隈が浮かび、髪は乱れている。
「あの夜、何かが……」
トンネルで感じた冷たい手の感触がふと蘇り、全身に鳥肌が立つ。背後の気配に振り向くも、そこには誰もいなかった。
その日、席に戻ると対面の同僚が突然立ち上がり、震える声で叫んだ。
「もうやめてくれ!お願いだから成仏してくれ!」
オフィスは一瞬で静まり返り、全員の視線が彼女に集まった。だが、誰も彼女の目を直視していなかった。その瞬間、彼女は理解した――自分はもう生きていないのだと。
「……そういうことか。」
彼女は虚空に微笑みかけると、つぶやいた。
「でも、残業のない幽霊生活って、案外悪くないわね。」
そう言った瞬間、彼女の姿はふっと消え去り、オフィスには静寂が戻った。
それ以来、会社では奇妙な出来事が絶えなくなった。定時になると突然パソコンがシャットダウンし、消灯した会議室からはかすかな鼻歌が聞こえるという。
「……あの人、まだ成仏してないんじゃない?」
そんな噂が広まるたび、オフィスの空気がどこか冷たく張り詰めるようになったのだった。