[出典:http://imachannobennkyou.web.fc2.com/19.htm]
8四句分別の総括
(1)理論が脱線していないか
四句分別の理論的総括
四句分別の理論への応用
この議論の総括として、まず重要なのは、古典的な形式から逸脱し、新しい形式を採用した理由です。過去の第三句「亦有亦無」の表現は、単に「非有非無」の双照形に過ぎず、直接的な「中」とは言えませんでした。これは新しい形式を採用する主な理由の一つです。形式や型は使用状況に応じて変化します。論理の型、文章の構造など、すべての型は進化するものです。
使用と形式の関係
形式はその使用に応じて発展します。例えば、剣道の型や論理の型などは、実践と共に発展します。新しい使用法から新しい形式が生まれることは自然なことであり、古い形式に固執することは、新しい使用法の発展を阻害することになります。
新しい四句分別形式の正当性
新形式の四句分別では、「亦無亦有」を「中」として採用しました。これは、空と仮の双照的な形式であり、天台宗の「非空非有」にも合致します。この新しい形式により、古典的な形式に見られる限界を克服し、より洗練された論理構造を提供します。
四句分別と三諦の関連性
四句分別の概念は、三諦(仮、空、中)と深く関連しています。新形式では、仮(有)は「非中非空」として、空は「非仮非中」として、中は「非空非仮」として表現されます。これらの表現は、仏教の三諦理論に基づいており、四句分別の新形式を支持する強力な理論的基盤を提供します。
結論
最終的に、四句分別の新形式は、仏教の教義における三諦の理解を深め、これまでの伝統的な理解を超える新しい視点を提供します。この新形式は、伝統に固執することなく、仏教理論の進化と発展を示しています。
(2)使用と形式――原型と使用・その応用型
四句分別の原型と応用
形式と意味の関連性の探求
この討論では、まず「形式」という概念に関する理解を深める必要があります。形式は意味と語用から発生し、これら三つは相互に依存する関係にあります。形式は、初めに意味を表現するための語用に基づいて生まれ、その後に成立します。したがって、形式は新しい語用や意味を拒否するものではありません。
四句分別の原型と応用の発展
四句分別の原型は、古典的な「有・無・亦有亦無・非有非無」の形式で始まりました。しかし、仏教における新しい解釈や応用が必要になると、新しい形式が提案されました。具体的には、「無・有・非有非無・亦無亦有」の新しい形式です。これは仏教の教えをさらに深く理解するための試みとして、新しい語用に基づいて開発されたものです。
中諦の四句表現への疑問
「中」が四句分別の枠組みにどのように適合するかという疑問点に対して、新しい形式の採用は必然であると考えられます。空が四句表現できるならば、中も表現できるべきです。これは論理的な結論であり、四句分別の理論から脱線しているわけではありません。
形式の重要性とその応用
形式は、語用や意味を伝達するために不可欠な要素です。四句分別の新形式は、仏教の論理構造の基本原型を表しており、仮、空、中の各諦をより明確に示すためのものです。新形式によって、論理学の一般的な方法を用いて、四句分別の「中」を「亦無亦有」として定義することが可能になります。
反省判断としての四句分別
四句分別は単なる存在判断ではなく、反省判断として理解されるべきです。これは「在る法」ではなく、「知る法」の側面を強調します。論理的な結論は肯定(有)でなければならず、第四句の「亦有」はこの点を象徴しています。反省判断を通じて、事象への適用や概念化への道が開かれます。
(3)存在判断から反省判断へ――虚妄と建立・その異同
存在判断から反省判断への移行
虚妄から建立への理解
四句分別の原型は、主に個人の反省に基づく論法として使用されます。人間の生活は虚妄の世界から始まり、この虚妄は三人称の視点に基づいています。しかし、この虚妄の理解を深め、一人称の視点である建立に移行する過程が重要です。人間の感覚判断は、外部の感覚から発生し、これが現実として認識されますが、これは未反省の状態であり、真実ではありません。
実体観の理解とその誤解
実体と非実体に関する議論は、仏教内で長い間続いてきました。しかし、仏教の教えにおいては、実体という概念は虚妄であるとされています。実際、デカルトなどの西洋哲学者も、感覚判断が常に真実を表すわけではないことを指摘しています。
仏法における反省の重要性
仏法では、現実の認識は虚妄とされ、真実への道は「無常→縁起→無自性→空」のプロセスを経て理解されます。このプロセスを通じて、個人は虚妄から真実へと移行し、仏法の深い理解に至ります。ここでの重要な点は、空は外部感覚を超えた反省判断の結果として現れることです。
仏法における建立の意義
仏法では、虚妄の認識から、空を通じて中諦に至り、さらに仮有への建立に至るプロセスがあります。このプロセスは、個人が感覚から超越した一人称の世界である脈絡感覚に基づくものです。これにより、仏法における建立は、虚妄から真実への移行という重要なプロセスを表します。
四句分別の現実的な応用
最終的に、四句分別は現実的な反省法であり、人間の認識プロセスにおいて極めて重要な役割を果たします。仏法における四句分別の使用は、現実世界の理解を深め、個人の内面的な成長を促進するための有効な手段となります。
(4)事と理と百非洞かに遣る中道
事と理の中道について
虚妄仮と建立仮の違い
虚妄仮と建立仮は、仏教における重要な概念です。虚妄仮は、衆生が実有と誤認する虚偽の概念を指します。一方、建立仮は仏様が実相観を基にして理解し、宣言される真実です。これは、事実や法則の有様を反省し、理解した結果としての仮有を指します。
仮諦と空諦の理解
仮諦は、実相を理解した上での如有、つまり仮有の真実を指します。これは、事実や法則の現象的側面を指すもので、縁起に基づいた存在として理解されます。一方、空諦は、事物の本質的な空虚さを示すもので、双遮の表現で定義されます。空諦は、事物の差別的な側面を超えた、法則的な平等性を示します。
中道とは
中道は、事実や法則の事相と理念の理念の両方を包括する概念です。中道は、事物の現象的側面(事)とその背後にある本質的側面(理)の双方を調和させるものです。中道は、仮諦と空諦の両方を理解し、それらを統合することによって達成されます。
四句分別の重要性
四句分別は、仏教において重要な研究の対象であり、これを深く理解することで、事物の真実を正確に把握することができます。四句分別は、事物の現象的な側面とその背後にある本質的な側面を理解するための手段として、非常に有効です。
事理の中道としての理解
中道は、事物の事相と理念の両方を含むものです。これは、物事の現象的な側面と本質的な側面を調和させる概念であり、仏教において非常に重要な役割を果たします。中道を通じて、事物の全体的な理解が可能となり、深い悟りに至ることができます。
(5)止観明静前代未聞――聞香討根