映画『SUPER HAPPY FOREVER』ー生きることは、お金稼いで、働くことだけですか?ー
あらすじ※ネタバレします
サツゲキで観賞。冒頭、佐野が取引先と「お仕事電話」をしている途中で、怒りと諦観を込めてスマホを海に放り投げるシークエンス。あまりにも正しい、と思ってしまう。「仕事の電話をお休みの方に絶対にしてはいけない」という理が、この世にはあるんです。知らないのでしょうか。
佐野と凪はホテルのロビーで出会う。互いに、椅子で眠りかけている女性の手から滑り落ちそうになるスマホを見つめている。「あ!落ちる!」と思ったら、手が反射的に動き、スマホは無事にキャッチされる。なんと美しくどうでもいい一瞬なんだろうか。
こういう一瞬は二度と訪れないことを、互いに知っているから。それはどうでもいいことでも、大切なことでも。等しく「一瞬」だ。私はよく、路傍に落ちてるもの(ゴミ含め)をカメラで撮る。そこに意味なんてない。ただ、もう二度と見れないから。写真は「死」を永遠にするものなのかもしれない。一瞬一瞬の風景は、「死んで」いく。だから残す。
いちばん記憶に残っているのは、ホテルの清掃員アン(ベトナムの技能実習生)が凪に「夢ってある?」と聞かれて「働いて、お金稼ぐだけです」と答えるシーン。
なんて残酷で誠実な、問いと答えなんだろう。ベトナムの技能実習生の実態を、凪はよく理解した上で質問しているはずだ。だって自らがアルバイトしながら、写真家として何とか芽を出したいと願いながら、生活しているのだから。
出稼ぎで必死に稼いだお金は、海の向こうにいる家族にひたすら送金です。私が1人で歌う『Beyond the sea』も、日々のベッドメイキングも、誰も見てないのか。でも凪は、そんな「あなた」を撮る。見る。確かに「あなた」がここにいたことを残すために。
アンはラストシーンで、亡き凪の赤い帽子を被りながら、茫漠とした海を見つめる。何を考えているかは分からない。私は、アンなりの凪へのアンサーだと思いながら見ていた。私の中にあなたを残すから。アンはなんとなくホテルに落ちてた赤い帽子じゃん、ラッキー!拾っておこ〜!くらいの気持ちなのかもしれない。答えはない。
顔も忘れる。声も忘れる。何を話したかも忘れる。誰だったかも忘れる。それでも、確かに凪という人間がいたということが、残る。
川上未映子『黄色い家』に出てきた、H2O『想い出がいっぱい』という曲を、なんとなく思い出す。
凪の死因は明かされない。私は、凪自身が自らの少女性を保つために、いなくなってしまったんじゃないだろうかと勝手に思ってる。この世界は、大人が「子どもの眼差し」(世界の景色をそのまま受け取ること)を保ったままでいられるように設計されてないみたいだ。私も日々ままならない。Office365というソフトがパソコンで動いている。電話をかけて、罵声を浴びせられる。そんな環境のなかで「子ども」のままでいることはできない。
それでも、そういう大人がいないと困るんだ。きれいで、どうでもいい、大切な風景を残したいじゃないですか。どう考えても。SUPER HAPPY FOREVERな一瞬を、写真に、心に、焼き付けることができたなら。もう私たちは、それ以上のことなんて求める必要はないはずなんだ。
旅立つ必要がなくなるまで、なんとか旅を続けていこうと思う。