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ふうたS
2021年5月23日 14:00
1945年3月10日未明、父が住んでいた家から東方面の空は真っ赤に染まった。翌日、その惨状を知った祖父は身重な祖母と幼いこどもたちを祖母の姉の嫁ぎ先に疎開させた。父の記憶によると終業式前のことだった。疎開先まで家財道具は持てるだけ持っての移動である。車もない時代なので、家族6人全員がそれぞれ荷物を分担して列車で運んだ。小学生だった父は一升瓶がはいった醤油を任されていた。はじめはしっかりと両手に