見出し画像

『もう一度旅に出る前に』12 普通の幸せ 文・写真 仁科勝介(かつお)

23区駅一周の旅が終わって、そのまま瀬戸内海のそばへ撮影で移動して、そして関西へ移動して、農作業のあとにこの日記を書いていて、まだ、旅のブログの更新が間に合ってはいないけれど、ほんとうに、無事に旅が終わって良かった。
また振り返りながら、ゆっくりと咀嚼して、言葉が生まれるまで、それを繰り返したいと思っている。ただ、23区490駅を確かに訪れたこと、何より、自分の足で1200kmを歩いたという事実は、これからの自分にとっても、大きな自信になるだろう。

ひとつだけ、いま書けることとして、印象深いのはツクツクボウシだ。東京を歩いていると、自然が全く存在しないわけではなくて、緑に囲まれた公園や庭園がいくつもあった。ただ、夏の季節になって、クマゼミやミンミンゼミは鳴き声がよく聞こえるのに、ツクツクボウシだけはどうしても見当たらなかった。しかし、旅の終了間際に訪れた明治神宮の参道で、ハッと足が止まった。ツクツクボウシが何匹も鳴いていたのだ。二度訪れて、二度とも鳴いていた。ほかの場所にも生息しているかもしれないけれど、ぼくは東京を歩いたのち、ツクツクボウシに心から感動するようになっていた。旅が終わって岡山に移動すると、岡山ではあたりまえのごとく、その辺でツクツクボウシが鳴いていた。だから、東京というまちにおいても、ぼくは普通の日常の中にある小さな喜びに、幸せを感じるようになっていた。

さて。23区駅一周の終わりは、旧市町村一周の始まりでもある。
人生を、たとえば箱根駅伝のように区切るとすれば、自分がいま、どの区間を走っているとしても、とにかく全力疾走である。歯を食いしばって、次の走者に、汗のたっぷりと染み込んだタスキを渡す。次の走者は、つながれたタスキの思いを背負って、また新たに、遠い先のゴールを見つめる。ぼくはいつも旅のとき、この箱根駅伝と似た感覚を持っている。いま走っている区間を、何とか一生懸命に走り切ったとき、それは、大きな達成感を得ることにはなるけれど、そのためだけに、走っているのではない。次の走者である自分自身に、あとは頼むぞという気持ちでタスキを渡し切るために、走っているのだ。無論、旅をしていない間も、常にタスキは、ギュッと体に巻き付けている。

もう数日したら、体も頭も落ち着いてきて、ひとつずつ、こなしたいことがはっきりしてくるだろう。おぼろげにだけれど、ぼくは「普通の日常」、そして「普通の幸せ」を見つめ直していくことが、自分にとってのテーマになりそうな気がしている。誰もが耳にタコができるほど口酸っぱく言われてきた、そして、形骸化すらしてしまいそうな「自然」や「食」や「地方」という言葉。しかし、その言葉と最後まで、徹底的に向き合った先には、大都市の東京も含めて、ささやかな、しかし、おおきな幸せが、待っているように感じられるのだ。文明は、発展していく方が良いに決まっているけれど、そのことと幸せが、将来どこまで人の心に寄り添って、相関的につながっていくだろうか。東京をずっと歩いていて、ぼくは意外にも、幸せは結局、身近なところにあるのではと感じられるようになった。隣に大切な人や友だちがいたり、誰かと支え合える愛があったり、日本のどこに住んでいようが、原点は、普通の日常の中にあるんじゃないかな。あっていいんじゃないかなって。それは本来、誰もが探し求めてもいいはずのことで。

だから、ぼくは普通の幸せについて、いま「気がする」と言ってしまっていることを、作品だったり、生き方だったり、考え続けて形にしていくことが、ひとつの生き方のように感じられて、しかし、それは簡単に形にはできるものでもないだろうから、とにかく、いま走っている区間を給水しながらも、一生懸命に走って、タスキをつなぐしかないぞという気持ちで、またシンプルに、次の旅を迎えるまで、今日も腕を振って進んで行きたい。




仁科勝介(かつお)
1996年生まれ、岡山県倉敷市出身。広島大学経済学部卒。
2018年3月に市町村一周の旅を始め、
2020年1月に全1741の市町村巡りを達成。

HP|https://katsusukenishina.com
Twitter/Instagram @katsuo247

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?