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『もう一度旅に出る前に』16 風の盆、続き。文・写真 仁科勝介(かつお)

3年ぶりの開催だった富山市八尾の「おわら風の盆」に伺った。風の盆に憧れていて、富山市役所の方と知り合って、相談をして、さらに行事に関わる方につないでもらって、さらにその支部の代表の方に話を通してもらって、やって来た。行事が終わって一週間経つけれど、余韻はまだたっぷりと消えない。

ただ、地元のコミュニティにお邪魔させてもらうことは、すごくむずかしいことだと思った(むずかしい、という表現もあまりに傲慢だけれど、ほかに上手く言い換えられる言葉がないのでそう書いた)。おわら風の盆では支部が11に分かれている。具体的には踊りも支部によって少し違うし、観光客の目線からすれば、ひとくくりにおわら風の盆があって、違う場所でも町流しの景色が見られる、という印象だけれど、地元の方々からすれば、自分たちのスケジュールで忙しいし、ひとつのコミュニティの中で完結している。

その、小さく強いつながりの中に、面識のないカメラマンがいきなりやって来るわけだから、迷惑甚だしい、と自分で思う。しかも、観光客の方々も、大きなカメラを持っている人がすんごく多くて、もう、目をギラギラさせて、シャッターチャンスを狙っている感じだったから、ぼくだけ少しコミュニティに混ぜてもらったとはいえ、地元の方々からすれば同じように映るだろうし、その中で撮らせてもらう、ということは申し訳なく感じるばかりだった。

だから、気をつけているつもりだったけれど、「もうちょっとだけ離れて撮ってね」と一度やさしいおじさんに言われたときは、「うわーーガビーン」としょげて、写真家失格だなとカメラをしまい込んで、観光客が町流しの中に入り込まないように誘導の手伝いをさせてもらっていたら、今度はカメラを持たずに眺める町流しが何より美しくて、いちばん感動した。かっこつけて言っているのではなくて、カメラを置いて見る町流しは、ほんとうに良かったのだ。日本の変わらない姿がそこにはあった。これからもずっと大切すべきものがあると思った。

でもとにかく、ぼくがお伺いした支部の方々はほんとうにやさしくて、たとえば集合した公民館で男性陣がマスクを同じ柄に揃えていて、ぼくは普通の白マスクだったのだけれど、おじさんが「揃えようよ!」と同じマスクを渡してくれたときは、コミュニティに混ぜてもらった瞬間みたいな心の揺れ動きがあって、嬉しかった。老若男女のみなさんと普通の話もいっぱいしたし、その中でも、地域に伝統ある行事が残っていることは素晴らしいことだなあと、何度も思った。

何より、来るまではおわら風の盆から何を学ぶことができるだろうかと、構えていた部分があった。深いことを見出そうとしていたけれど、突き詰めれば「魂のままに行事を味わっている」のだ。参加されるみなさんはまるごと、おわら風の盆に心を預けていた。きっと行事のない時期は、八尾にいたり、いなかったり、まちとの関わりも人それぞれで、いろんな日々が流れていると思う。しかし、おわらの時期にみなさんで集まって、同じ時間を共有する。町流しのときも、その間の休み時間にラーメンを食べに行く時間も、一緒にタバコを吸う時間も、お酒を酌み交わす時間も、ひとつひとつの時間が、何気なくて、特別で、美しい。みなさんの魂がひとつに集まっているようであった。集まっているみなさん全員が輝いていて、ヒーローであった。そして、受け継がれてゆく魂が、これからの時間を紡いでゆくのだと思った。

この3日間は、ぼくにとって大きな宝物である。最終日、東の空がだんだん明るくなっていった帰りの道のりを、忘れない。


仁科勝介(かつお)
1996年生まれ、岡山県倉敷市出身。広島大学経済学部卒。
2018年3月に市町村一周の旅を始め、
2020年1月に全1741の市町村巡りを達成。

HP|https://katsusukenishina.com
Twitter/Instagram @katsuo247


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