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「イラストでつかむ江戸の物語」第1回『南総里見八犬伝(前編)』(イラスト・文 笹井さゆり)



はじめに

なぜ今、江戸時代の物語?


物語の歴史は古く、『竹取物語』や『源氏物語』など、日本においても1000年以上前にはすでにすぐれた物語が残されていました。その中において、なぜ今回、あえて江戸時代の物語を扱いたいと思ったか……。
それは、江戸時代が日本史上初めて「貴族でも武士でもない庶民」が「読む物語」を広く楽しめるようになった時代だからです。

ざっくりとした説明になりますが、それまで庶民が楽しむ物語とは、口頭伝承つまり「語る物語」が中心で、文字で書かれた物語は文字が読める特権階級のものでした。
しかし特に戦乱の世では今日を生きるのに精いっぱいだった庶民も、江戸時代になって生活にゆとりができると、子の教育、つまり未来に投資することができるようになります。
教育の場である寺子屋に通う子が増えれば識字率が上がります。文字を読める庶民がどんどん増えます。そして、小説という「読む物語」を楽しめるようになるわけです。
(当時高価だった小説本が庶民に普及するには「貸本屋」の存在が欠かせないのですが、それはまた別のお話……。ちなみに大河ドラマ「べらぼう」の主人公、蔦屋重三郎も「貸本屋」のようなことをしていましたね。)

そして物語の側も、庶民という読み手を意識した内容へ、笑い・人情・時事ネタを取り入れたエンタメ色の強いものへと進化を遂げていきます。あちこちの長屋で小説が読まれ、江戸の世は空前の物語時代へと突入しました。

こういった「庶民が喜ぶ」小説は、後世において文学的な評価はされないことが多いものです。
しかし今回、江戸時代のさまざまな物語に触れていくと、それを真剣に読みふける江戸時代の人たちの顔が目に浮かぶようでした。
後世の評価など考慮の外にある、今その時の人々のためだけに存在する物語、それがとても大切なことのように思えました。そして、近づいてみると、江戸時代の人たちの頭の中――個の人生がかつてなく重要視される現代とどこか異なる、でもどこか繋がっている、教科書的ではない江戸時代の人たちのリアルな頭の中を覗き見ることができるような気がしました。

めくるめく江戸時代の物語の世界!

なんだか壮大な話になりましたが、そんな経緯から、この連載では江戸時代の主要な物語についてイラストを交えて取り上げます。特に物語や作者がもっとも意識したであろう「読み手」、当時の人たちにその物語がどう読まれたか?その様を描くことで、どこかぼんやり遠い江戸時代を少しだけこちらに引き寄せて見つめてみる、その一助となることを目指しています。

江戸時代の人たちの頭の中を覗くために、小説的な物語に限らず、「俳諧」「随筆」「日記」など、当時の人が書き残し出版した本もいくつか取り上げる予定です。
 それでは、めくるめく江戸時代の物語の世界(のほんの一部)を一緒に見てみましょう!

※扱う作品の中には、ひょっとすると現代の価値観に照らすとそぐわない内容もあるかもしれません。年齢問わずお届けしたい連載のため慎重に判断しますが、必須と判断した場合には注釈を添えてそれを描く可能性があることもご了承いただけますと幸いです。



『南総里見八犬伝(前編)』

どう読まれた?

今回は、江戸時代の物語でもっとも知名度が高いと言っても過言ではない、江戸時代を代表するファンタジー小説『南総里見八犬伝』(作者:滝沢馬琴)のご紹介です。
皆さんも内容は知らずとも、歴史の教科書などで一度はタイトルを聞いたことがあるのではないでしょうか。こちらは、メディアミックスという現代では主流の人気の波及を経て、世代を超えて長く愛されている作品です。


ざっくり4コマあらすじ

先に書いた通り、『南総里見八犬伝(以下『八犬伝』)』は全106冊に及ぶ大長編のため、現代で読破したことのある方はかなり少ないのではないでしょうか。なんといっても同じく長編といわれる古典『源氏物語』の2倍の長さ……(!)。人間関係も複雑に絡み合う壮大な大河ドラマです。

全編の詳細を紹介するのは残念ながら難しそう……ということで、今回は前後編に分けて、前編で「ざっくりあらすじ」、次回の後編で「8人の犬士」にまつわる主エピソードをマンガで簡単にご紹介することにしました。


ざっくり4コマあらすじ
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丶大(ちゅだい)法師と8つの玉

八犬士たちのそれぞれのお話は次回に送るとして、今回は「丶大(ちゅだい)法師」と8つの玉についてのお話です。
見ての通り丶大法師はお坊さん、つまり仏教の僧侶です。一方、8つの玉に浮き上がる文字は「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」。これは儒教の教えのもととなる“8つの徳”です。
つまり、仏教のキャラクターと儒教のアイテムという異なる宗教の要素が同時に存在する、不思議な構成になっています。
また、『八犬伝』は「因果応報」と「勧善懲悪」の物語と言われます。
「因果応報」は仏教の教え、「勧善懲悪」は儒教の教えがもとになっていると言われます。
「良いことをすれば良いことが起こる。悪いことをすれば悪いことが起こる。良き人は必ず勝つ。」
仏教と儒教が融合したこの物語の世界観が違和感なく受け入れられていたということは、仏教と儒教が当時の江戸時代の人たちにとってなじみのある考え方(道徳観の基盤)だったことを示しています。



知っておくと便利!江戸時代の小説の種類

さて、最後に江戸時代の小説に種類について少し触れておきます。
実は江戸時代の小説は「小説」とは呼ばれておらず、別の呼び名で呼ばれていました。表紙や内容で区別することが多いのですが、なかなかややこしいので簡単に図にまとめてみました。時代劇などで言葉が飛び交うこともあるかもしれません。知っておくとちょっと便利です。


江戸時代の小説の種類一覧
(画像タップで拡大できます)


ちなみに、『八犬伝』は一番右の「読本(よみほん)」に分類されます。「黄表紙」や「人情本」などで庶民が物語を読む素地ができた後の、集大成ともいえる物語の登場であったことがわかりますね。

(イラスト・文 笹井さゆり)


【参考文献】

曲亭馬琴・作/石川博・編『南総里見八犬伝 ビギナーズクラシックス 日本の古典』角川学芸出版
内田 啓一『江戸の出版事情 大江戸カルチャーブックス』青幻舎
小西聖一『活劇巨編「里見八犬伝」大評判 ベストセラー作家滝沢馬琴の栄光と苦悩』理論社
曲亭馬琴・作/白井 喬二・訳『現代語訳 南総里見八犬伝 上・下』河出文庫
野口武彦『江戸と悪 「八犬伝」と馬琴の世界』角川書店


【著者プロフィール】
笹井さゆり
江戸の庶民たちの文化や生き方を、可愛らしく活き活きとしたイラストで紹介する「江戸時代のちいさな話」シリーズが人気を呼び、SNSの総フォロワーは10万人。
『コミック乱ツインズ』(リイド社)にてイラストエッセイ「江戸時代のちいさな話」、『小説宝石』(光文社)にて漫画「わたしの江戸日和」連載中。
X、Instagramともにchiyochiyo_syr
江戸時代まとめ読み▶︎ https://min.togetter.com/HP9Sba7




第2回は『南総里見八犬伝』の後編をお送りします📚

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