ゆっくりと時間をかけて味わえるものの価値
次の日になっても。そのずっとずっと先になっても。他の誰かにとって価値がなくなっても、手にとって味わえる。繰り返すことができる。
いつまでも。何度でも。
すぐに手元に届いて、すぐに消える・・・そんな時代に必要なのは、ゆっくりと時間をかけて味わえる、消費ができない学問や楽しみ・生活・人間関係なのかもしれません。
カルビーのポテトチップス。日曜6時のちびまる子ちゃん。時代を超えて復活するポケモンやX-MEN。何度も読み返す、お気に入りの漫画や小説。同じ演目を繰り返す歌舞伎や落語。小学校から変わらない友人との、変わらない会話。
パターンは分かっているはずなのに、何度でも繰り返す。その都度、安心したり。単純に、生きてるなと確認したり。かと思ったら、不意に心動かされたり。
そうやって、小さな新しい自分や他人を発見していく。その積み重なりが知恵となり、価値になる。
繰り返しは退屈で。飽きてしまうのが嫌だから・・・新しいもので、簡単なものをと求めてしまうけれど
次々と手を出すたびに、お財布にもココロにも閑古鳥が鳴いていく。
その根っこにあったのが「ずっとずっと満たされ続けていたい」という願いだとして
満たすものは、実は特別目新しいものじゃなくてもいいし、刺激的なものじゃなくても良いということに気付いている人は、幸せだと思います。
わたしはね、閑古鳥が鳴いてから気付いた人。笑
ゆっくりと味わえるものは面倒くさい。だけど、ゆっくりと味わえるものには、価値がある。
そこに新しい何かを発見し続けさえすれば、飽きることもない。
すこし遅くなったけど、これは気付けて良かったこと。閑古鳥仲間へのススメ。
変わらないね。また来たね。
そんな風に、ゆっくりとした時間のなかで、いつのまにか育つものがある。それは、消費できないもので、誰かに食べ尽くされないもの。
そういうものが、世界中に増えたときが、本当に豊かになるときなのではないでしょうか。
アートは消費するためのものではありません。その時々の、心の四季が映る、小窓のようなもの。
絵が動いて部屋のゴミを片付けることはないけど
長く長く触れ合い、子供から大人まで、共に時を過ごせる楽しみの一つ。
合理的なものに疲れたとき、満足ジプシー、現実の面倒ごとを片付けるだけの日々に乾いてしまったとき
そういった豊かさを思い出していただけるような時間は、誰にでも必要なのです。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?