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いぬじにはゆるさない 第11話「ウォーキング(中編)」

「久しぶりじゃん。車の件、どうなった?」

最近、イイジマとの会話をよく思い出す。

それは、彼を想う故(ゆえ)といった色っぽい理由では無くて、読み終わった小説をかいつまんで読み返し、見落としていた伏線や汲みきれていなかった作者の意図に気付く、あの答え合わせのような感覚だ。

バイトが休みだったある平日、珍しく午前中にウォーキングに出かけてベンチで休憩をしていた時の事。突如、目の前に足踏みをしたままのイイジマが現れた。

この公園は周辺をぐるっと囲むようにウォーキング用のコースがあり、それを目当てにやって来る人も多い。知り合いに会う確率も高いので、精神的に安定するまではむしろ避けていた。

そしてここを定位置にするようになって二回目の事、早くもダイエット中のモンちゃんとばったり出くわした。それから私達が走っていると知った周囲の友人達の間で『にわか運動ブーム』が起こり、皆、何となくここで思い思いに走る日が増えていった。

特に集まる約束をするワケでは無い。誰にも会わない日も多かったし、女性陣ばかりで揃ったときは帰りにパフェを食べて「走った意味ない~」と笑う日もあった。

そしてこの日、初めてイイジマと鉢合わせしたのだ。車載カメラを設置してもらって以来、二ヶ月近く会ってなかった。曜日は、水曜日。そう言えばイイジマの定休日だ。

ベンチから立ち上がり、イイジマと並んで小走り程度にぼちぼちで歩き出す。

社員の車へのイタズラは、前にショッピングモールで出入り禁止を言い渡された事を逆恨みした人の犯行だった事。

私の車が被害に遭っていたのはまた別の人物からの嫌がらせで、その犯人は元恋人の浮気相手だった事。おそらく、頻繁にかかってきていた無言電話も彼女のしわざだろうという事。

それから仕事が見付かったので、バイトは今月で辞める事。

それらをつらつら説明し、車載カメラの件でお世話になったお礼を伝えた。

イイジマは、私の話が終わるまでずっと黙って聞いていた。話し終えてから長身の彼の顔を見上げると、そこにあったのは明らかな怒りの表情だった。

その時の私は、それは単にイイジマの持ち前の正義感や友人としての憤(いきどお)りの現れだと思っていた。けれど、もし彼がこの時既に私の事を想ってくれていたのだとすれば、本当はどんな気持ちだったのだろうか。

久しぶりに会った『好きな人』の体型が変わるほどに痩せていて、そんな不穏極まりない話を語られるなんて。

「それ、警察には言ったか?」

「言って無いよ。」

「じゃあ元彼さんに言うとか、とにかく、何か!」

「駐車場に停めるとき、自分の車に小さな貼り紙しておいた。『あなたが誰か知ってるし証拠もあるよ♥』って。変な顔文字と沢山のハート付けて。そしたら、車への嫌がらせも無言電話もピタッと止んだよ。」

会話をしながら、ウォーキングの速度を少しだけ上げる。

けれど、もちろんイイジマと私とでは足の長さも体力も全然違うので、喋っていて息が辛くなるのは私だけのハズだ。なのに、イイジマは次の言葉で少し噛んだ。

「…それで終わりじゃあんまりじゃんか。何で俺…達に、相談しなかったんだよ。」

何で『俺に』相談しなかったんだよ、と、言いたかったのだろうか。

けれど私にはそんなイイジマの心中はどこ吹く風で、とうとうと語った。

「人を憎むのってさ、めちゃくちゃエネルギーが必要じゃん。私さ、昔、すっごく嫌いな女の子が居たの。まだ中学生とかその位の頃の話ね。本当に嫌いで嫌いで、家に帰ってからもお風呂の時も寝る前も、ずっとその子の事が頭から離れなかった時期があってさ。で、ある日、ふと思ったんだ。『好きな人ならともかく、嫌いな子の事が頭から離れないなんて、めちゃくちゃ損じゃん。』って。」

もちろん、イヤなヤツとは戦わなければならない時もある。

けれど、もしそのイヤなヤツが自分の生活と(ある程度でも)切り離す事ができる相手ならば、それはとっても幸いな事だろう。

「毎日を楽しく生きている人は車にイタズラなんかしないし、無言電話もかけないよね。浮気相手の子とあの人の関係が今どうなってるかなんて知らないけど、どう考えても幸せじゃないじゃん?負の感情に振り回されて、惨めで、辛くて仕方が無いんだと思う。」

「だから許すって?」

そう言ったイイジマの口調は、明らかにイラついていた。

煮え切らない私の態度が癪(しゃく)に障(さわ)ったのかと思ったが、コレも違うのかもしれない。もしかしたらイイジマは、とてもストレートに怒っていたのだろうか。『自分の好きな人を苦しめている相手』の事を。

「許しては無いよ~。」

私は笑って続けた。

「そんなドス黒い感情をぶつけるのって、どうにかして相手を同じ気持ちにしてやりたいからでしょ?だから、そんな事はスルーしまくって楽しく過ごせるようになるっていうのが、一番の復讐だと思うんだ。」

『楽しく』と言っても、別にスペシャルな幸せなんて必要無い。美味しい物を食べて満足したり、お笑い番組で馬鹿笑いしたり、そんな小さな事を楽しむだけでもいいのだ。

「私が怒りなり悔しさなり、苦しい気持ちで居続けてたらそれこそ思うツボじゃん?」

それから私は、まだ少し怒っているようなイイジマに、わざと満面の笑顔で言った。

「辛い時は、少年漫画みたいに自分自身に発破(はっぱ)かけてたんだ。『犬死には許さない』って!」

悪意に呑まれて潰れてしまったら、自分がもったいない。今はキツくても絶対に笑えるようになる、今ここで終わってしまえばそれこそ犬死にだ。

イイジマは一瞬複雑な表情を浮かべ、それから少し改まったようにして何かを言いかけた。

けれどそのタイミングで、『明らかに外回りの仕事をサボっている風』のモンちゃんが横道からコソコソと出現し、私達はその絵に描いたようなサボりっぷりにお腹を抱えて笑った。

結局、その時イイジマが何を言おうとしたのかは、分らず仕舞いのままだ。






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