令和3年9月30日 曇り
弓道 第三話
・・・或いはおれはあまりにも神経質にとらえすぎたのかもしれない。弓を引いて矢を放つということ。これは人間の最もプリミティブな行為だ。矢を放つ以上、なんらかのターゲットがなければ成り立たない。獲物を仕留めるのは生きるためであり、生きるのは愉しいから射るのだ。ああ、これが大乗仏教の教えというものなのか?弓道をすることはいきなりにして、弓禅一如、悟りの境地すなわち禅に達するということなのか?
しかし、弓道をはじめたばかりのおれにとって、愉しさなどというものは皆無に等