10年前。
昨日書いて、公開したかったけどまとまりきらなかった。
3.11。
十年前、俺は小学六年だった。
場所は長野。
揺れは少なくて何も壊れなかったし、みんな生きていた。
ラジオをつけた。
NHKがバグってた。
ひとまず津波が偉いことらしい。
東北らしい、ということだけ分かった。
次の日の朝、両親のパソコン情報で知った。
かなりの方々が犠牲になってしまった事。
同世代とも言える子供達からお年寄りまで、かなりたくさんの方々が津波で連れて行かれたこと。
びっくりした。
自分のところで、と想像するとゾッとした。
悲しかった。
今でもその感覚は想い出す。
生きてる事が当たり前ではないし
奇跡かもとすら思う。
僕らは常に死に直面して生きていると思う。
いつ何が起こるかわからないし
いつ死ぬかわからない。
防げるもんでもないから。
それは運命だから。
だから、とにかく怖がるのもいいけど、それよりも
一日一日感謝や愛や喜びを持って生きていこう。
やりたいことをやって、生きていきたい。
そうやって思う。
そして次の日。
原発がおかしい、と噂が入ってきた。
NHKで京都大学の小出裕章氏が話していた。
マジでやばいと思った。
小出氏はその少し前に近くに来てくれて、原発の怖さ、放射線の恐ろしさを教えてくれた方だった。
原発のことを反対することで政府や社会からいい顔されないことは子供ながらに少し理解していたと思う。
その小出氏がラジオ、しかもNHKに出ていて本当に大変なことだ、と思った。
東日本の震災がとてもとても近く、じぶんごとになった。
放射能はここまで来るかも、という不安でとりあえず2週間家族で家の中にいた。
その後は西に行った。
ニュースを見ながら。
とにかく恐ろしかった。
原発は水素爆発していた。
けど、同時に東日本の方々はもっと大変だろう、と思った。想像もしきれない。
津波では守られたのに放射線の影響で牛乳の出荷ができなくなった農家さんは自殺したらしい。
ただ、悲しい。
原発はその人のせいじゃないのに、、、
それを建てた東北電力はぼんやりしてたし
政府も直ちに影響はない、を繰り返してた。
なんだか信じられないことが毎日起こってた。
コロナもそうだけど
イザってとき政府は頼りになんないし、
ほんの少しの行動で満足してしまう。
そして国会で寝ている。
頼むからもうちょっとこっちを向いてくれ、と思う。
だけど、そうしてしまったのは俺ら国民だ、てのもある。
だから何かと間違ってると思ったら言うべきだし、少しの署名でも出来たら、と思う。
SEALDsやグレタのような行動を起こすことはちょっとレベル高いけど、俺たちには選挙もあるしできることはたくさんある。
あの震災の原発事故以来、
政府のことを知るようになった。
知らないことだらけだけど、情報を取りに行くようになった。
それはスマホですらできるのだから。
ごめんなさい、たくさん寄り道したけど
とにかく生きていること、
それは素晴らしいことだと思う。
愛する人を愛せたり
やりたいことをできたりする今の時間が大切。
そして、より生きやすく
なにか起こって生き残ったときに
その後生きやすくしたいから自分の暮らしのこと、
それから、政治のことも考えて見ようと思う。
明日生きているかわかないから今を生きつつ
明日生きていたときのために明日を生きよう!
この星に、すべての人に愛をこめて。
あの日の東北で亡くなった方々に精一杯の愛を込めて。
合掌。