9.4 僕は幸せです

「悪口論」読み終わった。本当はあまり書きたくないんだけど、書くしかない。最後の方では自分を負け組だと良い、負け組だからこそ社会を変えられると綴る。何を陶酔してんのかわかんないけど、好きにしろってことだ。でもところどころ理解できるところもあった。「議論は罵倒から始まる」や、「自己憐憫的なシニシズムをやめろ」だったり。まあたしかにシニシズムはクソだ。なんのプラスにもならないし、何も生み出さない。それよりは何かを変えようとして動く方が生産的だ、くらいまでは納得できた。

ごめん、テーマを変えるわ。「百冊で耕す」面白すぎる。喋らせて欲しい。これまで読んできた「読書」本も敵わない。私はこれを目指していたのだ、というよりも上の段階にこれはあった。想像し得るものはだいたい実現可能なのだっていうけど、想像外のところから見知った形で構成された(理解し得る)形で現れたのだ。僕も人生で「ベスト100冊」の本棚を作りたいという夢ができた。最高の本を見つけた時にそれを入れる枠ができたってのは本当に僕にとって素晴らしいことだ。その大きさに100冊という枠があるのも良い。確かにその本は僕の人生を変えた。今日はいい日だ。
ずいぶん前(1ヶ月ほど)に買ってゲーム用の机の上に積んでいた本を読んでよかった。読もうと思ったのは、帯の「読書とは人を愛するレッスンだ」っていう言葉からだ。買ったことさえ忘れて、まるで本屋で初めて出会ったような嬉しさも感じた。忘れるというのもこういう意味では悪くないもんだろう。少し前の(大学生の頃の)僕は「忘れる」ということをとても忌避していた。嫌っていた。記憶が失われると2度と戻ってこないと思っていたし、忘れてしまったことは全て無駄だと思っていた。でも、今なら言える。この半年くらい辛いことも忘れる必要があったり、忘れていてもふとした瞬間に思い出すこともあったりして、忘れることのポジティヴさに気付いていた。絶望からただの現象になった。楽になった。
新聞の書評の素晴らしさにも気付かされたのでちょっと帰りに新聞を買うか、新聞が読めるカフェを探そうと思った。まだ60ページも読んでいないけど僕は変えられている。多幸感に包まれている。冗談じゃないぜ,全く。僕は幸せです。

本は、読むだけではない。本は眺めるものだ。なで回すものだ。わたしは、それに生かされてきた。読んだ場所、読んだ時間、読んだ日差し、読んだ風の匂いを、五感を使って記憶に定着させる。

生きるとは、本といた季節の記憶。

『百冊で耕す』近藤康太郎

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