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コーヒーの紙コップとブランディング

自分のブランドを持ちたいと思ったのは20歳の時(いまだに持ってません!笑)。理由は自分のブランドなら全て自分の好き勝手に好きなものを好きなように作り好きなように売れるから。

まだまだスター〇〇クスなんて日本に来ていないし、エスプレッソ旋風も吹き荒れていなかった日本。その頃いつか自分のコーヒーブランドが欲しいと思っていた。まあ、若いアホが考えそうなことだ。その時はデザインが全てだと思ってた。あれもデザインしよう、これも、ああ、あれも。てな感じ。結局程なくしてス〇バが上陸した。珈琲は好きだった。父が結構なコーヒー好きだったからなのか。調べ物でもしているのか生まれた私を抱き抱えている横で、ノートや本が積み上がったテーブルに珈琲ポットとフィルター、それからなぜか一緒にサイフォンが置いてある写真がある。弟が生まれたばかりの頃父に連れ出されて行くのは坂の下にあった珈琲店。遺伝的なものもあるのかもしれないけれど、うちの親族にはコーヒーマニアが多い。私も周りの人より早い段階でコーヒーはよく飲んでいたけれどそれよりも珈琲にまつわるものはデザインしやすいと感じていたのが大きい。ブランドにするなら珈琲だろうと思っていた。若さゆえの浅はかさだ。

信じられないかもしれないが、あの当時紙コップにコーヒーを入れて街を歩きながら飲むなんて考えられなかった。というよりあり得なかった。その当時私はカナダの大学に留学していて珈琲をタンブラーに入れたり紙コップに入れてキャンパスを持ち歩く、もしくは街を歩くというのは普通に行われていた。ある日冬休みに帰国して友達と表参道で待ち合わせることになった。どうしてもコーヒーが飲みたくなってドトールに入り、待ち合わせまでの時間もないからコーヒーのを紙コップに入れてもらって薄いコーヒーを飲みながら表参道を歩いていたらなんとなしに通りすがりの人たちがこちらを見てるような気がした。友達との待ち合わせ場所に着いた時、友達から「何それ!?」と指摘を受けたのがドトールの紙コップ。意味がわからずドトールだよ、と言ったら、それはわかる、なぜそんなもの飲みながら歩いてきたのか?と笑われた。

飲みたいから。だってテイクアウトあるじゃない(あの頃はTo Goなんて言っても全く通じなかった)。それはあくまでテイクアウトであって外飲み用ではないだろう、と。え!そうなの?通りですれ違う人たちからチラチラ見られていたのはそれだったのか。えええ、でもね、いつかこういう日が来るよ。みんながコーヒーカップを手に街を歩く日が。と言ったら、日本はないだろう、言っていた。

たった二十数年前の会話である。

どうだろう、今。珈琲を歩きながら飲んだことがない人を探す方が難しくないか?

ブランディングってそういうものだと思う。誰がこんな世の中を想像したか?って今この話を聞いてもみんな何言ってるんだろうと思うだろうけど、世の中慣れてしまえばそんなものだ。それがブランディングの成功というものだ。

この先20数年でこの「何やってるの?」の嘲笑が「当たり前」になるのはどんなものなのか?それを作るのは偶然ではないのだ。偶然を装って作り上げて行くのがブランディング。紙コップを路上で一生懸命ティッシュ配りのように人に押し付けても誰も手にしてくれない。残念ながら多くの企業はみんな路上で紙コップを無理やり通りすがりの人に押し付けるビジネスをしては、やれ100人中何人が受け取ってくれたか、そのうち何人がカバンにしまわずに手に持って歩いてくれたか、何人が捨ててしまったか、何人がSNSにあげてくれたか、なんて数字ばかり気にしてる気がする。そしてそれを「ファクト」という。確かにファクトである。でもその数字自体はなんの意味も持たない。そんな検証で出る答えは「紙コップの色を変えよう、ロゴを大きくしよう、持ちやすくしよう」という薄い結論くらいだろうな。

あれから二十数年。今いろんな企業のトップにいる人たちはあの時紙コップをもって珈琲を啜りながら歩く私をジロジロ見ていた人たちかもしれない。笑




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