美しくない問題について

結局差別だの多様性だのが瑣末な、装飾的、技巧的な(ヘイター?笑、とかそういう)問題として扱われているのがしんどい…けどまあそうしないとというか実際の政治においては本質(一番重要なこと)なんて一筋では決まらないのだろうとは思うけど(引用を読みながら思う)

じゃあ逆に差別や多様性は純粋に政治の問題なのか?という疑問も出てくるね…(なんとなく)(思いつき)
仮に政治の問題としてはくだらない、だとしても、だからその問題はくだらない、そういうことには少なくともならない。

美しい問題に人は集まるけれど、私の問題は美しくない。
大多数の(マジョリティの)問題も同様に、美しくない。
まあマジョリティというよりなんだろう…まともな生活ができている人たち。(私はまともな生活ができているとは言い難い)

なぜ私の問題が美しくないのか
“美しい”人たちによる暴力の問題だから、彼らに搾取されている私の問題は美しくない
タダで与える神である「べき」障害者が権利を主張しているから、美しくない
差別者によって公に謝罪され認められることは美しいがそれは起こらない
だから美しさが人には見えない

まだ見えない美しさにふつうの人は簡単に投資(協力)することはできない
それほどまでにこの問題が困難だということでもある
それほどまでに“美しい”人間が浅ましいという事実でもある
少し追記すると、

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