ジャーナリストを目指したのは、こんな経験あったから。
おれが新聞記者になろうと決めたきっかけ。それは言葉の大切さを学んだ機会を得たからだ。
浪人して代ゼミに通っていたとき、現代文の講師が問題文を読み上げながら、このような話をしてくれた。
はい、みなさん。いま、「盲目」との言葉が出てきました。どのような意味か分かりますよね。そうです。目の不自由な人を指す言葉です。
でも文脈では、悪い意味として用いられています。「盲目的な」という表現のことです。
みなさん、目の見えないことは、悪いことですか。わたしはかつて、このような話を女子生徒から聞きました。
その生徒は生まれつき視力のない人でした。だから予備校にもタイプライターを持ち込み、授業で聞いた話をカタカタカタとタイプで打ち込み、点字のノートをとっていました。
クラスでも毎日1番前の席に座り、一生懸命がんばっていました。
ある日、自宅でね。その子はお母さんに教科書を読み上げてもらっていたそうです。彼女はその声を聞きながらタイプライターで打ち込み、自習のために点字に訳していました。
そのとき、お母さんの声が途切れたそうです。そして涙をすする音が聞こえた。
お母さん、どうしたの?と尋ねると、お母さんは訳を話したそうです。
読み上げていた文章に、盲目との言葉が悪い意味で使われていたからです。その通りに読み上げようとしつつも、お母さんは出来なかった。
だって、目の見えないことは悪いことではない。それなのに文脈では、悪く使われているから。
それから彼女とお母さんは抱き合って泣いたそうです。
そういうことがあったと、女子生徒は私に話してくれました。
〝先生、目の見えないことは悪いことですか?〟
彼女はそのように、私に問い掛けました。悪いことではないよと返しましたが、私もそのとき、言葉の残酷さや大切さのようなものを知らされました。
みなさん、だから言葉は大切に使わなければならないのです。
だいたいこんな話を18歳の春先に聞いた。当時は漠然と英語を使えるようになりたいとしか考えていなかった。
でも、「言葉」について深く考えるようになった。
あれから20年。電車に揺られながら、ふと「言葉」を学んだ時の記憶が頭をよぎった。
果たして今、おれは言葉を大切に使えているだろうか。言葉を扱う仕事に就きながらも、その原点を忘れてはいないか。
日々の慌ただしさと不条理への憤怒にかまけて、己の礎をないがしろにしているかもしれないと。