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短歌 【自分の存在を確かめる自問】

今日は出かけていて、あれこれ引用できる環境にはないのですが、短歌や詩はどんな人が詠んでいるのかをあからさまに描かない方が良い、という理解があります。いわゆる「私性」の是非というものです。

それは、短歌や詩を読み手に任せること、読むひとの多くに当てはまるように配慮してのことです。「うん、それ解る」を引き出すために、詠み手は自分を抑えて、動かすなら「作中主体」を動かせと。

でも病気の歌だったり、障がい、介護施設などの歌や詩、俳句は当事者だからこそ詠めるものだと私は思います。

今は特に、青春期を過ぎた妙齢な女性は「ママ」になり、時が経つにつれて嫁、親の介護、そしてようやく自分がお婆ちゃんになり、孫を詠う。こうした一定の流れが出来にくい時代にあります。それが故に、自分の存在の位置や感覚を、持ちうる言葉をフル動員して表現する時代なのかな?と感じています。

「平均して〇〇」と言うと差別だ、侮辱だ、という時代です。私は反対に「私性」をもっと出しても良いと思うのですが、皆さんはどうですか?

かと言って、「自分を大切に」とは、わがままにして良い、我慢しなくて良いとか、そういう誤解を与えるのであまり好きではありません。

我慢しなかった結果が、恋愛リアリティや、芸能界のニュースを見ればお分かりでしょう。


#短歌 #現代短歌 #歌論 #今を生きる #ステレオタイプはない  


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匤成深夜〈おみなり しんや〉note詩歌コレクター
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