現代語訳 樋口一葉日記 16 (M25.5.29のあとの余白に書き込み)◎絶交した桃水への思いと煩悶の日々
※以下の文章は、「にっ記」の終わりである明治25年(1892)5月29日のあとの余白に記されたものである。その内容からして、ここの書き込みは少なくとも同年6月22日以降になされたもので、しかもそれから2か月に渡って随時書き継がれたものと思われる。「にっ記」の終わりに余白があったのは、一葉が既に6月1日からの分の新しい日記帳を用意していたからで、つまり6月22日まではただの余白に過ぎなかったのである。6月1日から新しい日記帳(日記の題は「しのぶぐさ」)に書き出した一葉は、運命の波に踊らされながら、その揺れ動く思いを、敢えてこちら(「にっ記」)の余白に吐露していたのである。
私ははじめから、あの人(※半井桃水)に心を許したこともなく、また恋しい、慕わしいなどと思ったことは、決してなかった。だからこそ何度もの対面で、(周りに)人のいる様子のない折々に、それとなく、(私への好意を)ほのめかして話しかけられたこともあったが、(私は)知らん顔をしてよそよそしく振舞うだけであったのだ。それなのに、今まさに、こんないわれのない噂などを世間に言いたてられ始めて、気づまりになってしまったことは、残念も残念であるはずなのが当たり前なのだけれど、心(と)は不思議なものであることだ。最近続く雨の夕暮れ時など、ふと(あの人の)以前の静かなお住まいのご様子、くつろいで打ち解けたお姿などが、どこというものもなく(ぼんやりと)面影として浮かんで、あの時はこう言った、この時はこうなっただろうか、(というように思い出して)、あの雪の日にお訪ねした時、手ずからお雑煮を煮てくださったこと(※明治25年2月4日の日記に詳しい。)、「お母様のお土産にしなさい」と干魚(※ひうお/干した魚)の瓶漬けを贈られたこと、私が参る度毎に嬉しそうにもてなしてくれて、「帰ります」と(私が)言うと、「今しばらく、今しばらく。あなた様とする一晩のお話は日々の苦しみをも忘れてしまう(ほど楽しい)ものなのですから。もう三十分、二十五分(いてください)。」と時計を眺めながら(私を)お引き留めになられたこと、まして私の為にと雑誌の創刊(※『武蔵野』)に(まで)及びなさったことなど、いまさら言うのもおかしいほど(思い出でいっぱい)だ。長くお患いなさった後に、まだ弱弱しく苦しげでありながら、「夏子様(※一葉の本名。)、何を召し上がるのがお好きですか。今この頃の病中の無聊(※ぶりょう/退屈の意)は耐え難く、それだけでも死にそうでしたのに、朝な夕なに(※朝に夕に。常に、の意)(お見舞いに)訪れてくださった御恩、何に比すものがあるでしょうか。そのお礼には、山海の珍味には及びませんが、」と(まるで私と)兄弟(※兄妹)などのようにおっしゃる。(そして続けて、)「私は、料理がはなはだ得意なのです。とりわけ五目ずしを調理することが得意ですから、近々あなた様を正客(※しょうきゃく/主賓。主だった客。)としてこの(五目ずしの)ご馳走をいたしましょう。」と約束をした。それにしてもその手ずから料理したもの(五目ずし)を、いつの世いかにして頂戴することが出来るのだろうか、などと思い出すにつれて、あの頃が恋しく、世間の人が恨めしく、今から先のわが身が心細く感じられるなど、多く(の思い)がまとまって一筋の涙となった。(※原文に違いがある箇所。小学館版一葉全集も筑摩書房版一葉全集も<一ツ涙に也ぬ>だが、ちくま文庫版日記・書簡集では<一つ涙にひぬものから>と字を起こしている。後者だと「一筋の涙になって乾くひまもないのだが」と訳すことになるが、前者の方が簡明で自然と判断し、そう訳した。このように、一葉日記は字の起こし方で文章の意味に微妙な差異が生ずる。)こうなってしまったのも(一体)誰ゆえだというのか、その源は(他でもない)あの人ゆえなのだ。あの人が自ら、ありもしないことをいかにも本当らしく(他人に)言いふらしたから、(私の)友などの耳にもやむなく伝わってしまったのだ。友に信義というものを大事にする人がいなかったので、すぐに事実も嘘も(ごっちゃにして)師の君(※中島歌子)に訴え告げたのだろう。それでもやはり、師の君に本当の私を見る目がおありなら、こんな取るに足りないよこしまな話などに、わけもなく迷わされなさるはずはないものを、などとさまざまに思っているうちに、憎くない人はいなくなってしま(う有様だ)った。「いやいや、罪は世間の人にあるのではない。私が、李下の冠の戒めを考えず、瓜田(かでん)に履(くつ)をいれたからこそ、いつのまにか人の目に留まって、言い訳しがたい仕儀(※しぎ/事の成り行き)にもなったのだ。(※瓜田(かでん)に履(くつ)を納(い)れず李下(りか)に冠(かんむり)を正さず/ことわざ。瓜畑で靴が脱げて、かがんで靴を履き直すと瓜を盗んでいるように見えてしまう。また李(すもも)の木の下でかぶっている冠を真直ぐにしようと腕をあげたりすると、李を盗もうとしている者に見えることから、人から疑われるようなまぎらわしい行為を控えるべきだという戒め。)人の一生を旅と見立てて、まだ出立から二歩、三歩ほどである(私の)身には、(難儀なことは)これだけではないだろう。道の妨げはとても多いだろうから、用心しなくてはならないことだ。」と心を決めた時は、賢く心も定まって、くやしく残念なこともなく、悲しいこともなく、悔やむこともなく、恋しいこともなく、ただ本然(ほんぜん)の善(※人間に生まれつき備わっている本性としての善。)に立ち返って、一途に、「大切なのは親兄弟、そうして家名である。これにつけても、いい加減に処することのしがたいわが身であることだなあ。」などと思っていたちょうどその時、またある人(※野々宮きく子が明治25年7月31日に来訪している。)に訪われなどして、あの人(※半井桃水)のことがふと話に出て来た。この人には(ことの)一部始終を言わなければならない筋合いなので、「かくかくしかじかにて、決して決して(今後あの人のもとへは)参りませんということになりました。」などと語ると、その人は首をかしげて、「いえいえ、それは真実ばかりではないでしょう。あの人が自分の口からそのようなことを言い出したなんて、少しも思い当たることができません。大方、あなた様の本名を(世間に)打ち明け難いなどと常々おっしゃっていたので、あの人が(あなた様のお名前を)自分の姓などを使って、世間にお出しになったのではないでしょうか。それを邪推の強い人たちが、あれやこれやと上手に言いなして、このように言い広めたのでしょう。私が思うには、あの人がもし仮に、邪な心があって、そのためにはかりごとを企てなさっても、まさかこんな拙いことを企てられるはずはありません。他に手段もあるはずのことです。また、あの人の性格からして、情愛が深く親切であられるのは、私も他の人も共に知っているところで、あなた様にばかり(そう)であるわけではないのですから、それ(※あの人が一葉に情愛深く親切である事)は証拠とするには足りませんよ。もとより、不羈放縦(※放縦不羈(ほうじゅうふき)が正しい。才能が優れていておさえられず、自由きままなこと。)の人なので、昔も言うまでもなくそうであったのです。(※原文に違いがある箇所。小学館版一葉全集も筑摩書房版一葉全集も<ありし頃もさなん>で、その後ろに<ある>が省略されている形だから「昔もそうであった」と訳せるが、ちくま文庫版日記・書簡集では<ありし頃もさら也>と字を起こしている。その場合は「昔も言うまでもない」と訳せるだろう。どちらとも自然なのでここでは前者と後者を合せて訳すこととした。また、ちくま文庫版日記・書簡集の原文は、旧筑摩書房版一葉全集(1954)を元としているようだ。)いつも花柳界を住処(すみか)として、金銭を見ること塵芥の如くで、ある時は五十金(※円)を一夜に費やし、今日七十金(※円)の収入があっても明日はわずかに五円を残すのみ、などのようなことがあるのは珍しくありません。おととしのことでした。正月の一日に、晴れ着を五十金(※円)出してこしらえたのを、二日目に友の困窮する由を聞いて、残りなく(その晴れ着を)脱いで差し上げました。ご自分は古びた双子糸(※ふたこいと/二つの糸をより合わせた糸)の袷(あわせ)(の着物)に浴衣を重ねて、寒中を凌がれました。けれども、妹さん(※桃水の妹、幸子。)がお嫁入りされた時に、心に決めたことがあって、急に身持ち(※品行)を慎みなさって、人知れぬ家に(世間から)隠れ住んで、わが世の春をお待ちになられたことは事実です。必ずしもあなた様に(何か)目的があってというばかりでもないようです。(※明治24年10月30日の日記に一葉が桃水に隠れ家に連れて行かれて話したことが書かれている。桃水は負債から逃れるために身を隠していたらしい。)また急に住まいをたたんで、跡も残さずご転居(※明治25年3月18日の日記に桃水が河村家に引っ越したことが記されている。)なされたのは、このようなことから隠れ家が世にもれ知れることを恐れなさっての所為ではないか、と自分は思っているのです。」などと、一つ一つに証拠を引いて論じる(ように)言う。(※明治25年5月22日の日記には、野々宮きく子は桃水の悪口を一葉に吹き込んでいる。かと思うと今回(おそらく7月31日)は桃水をかばう発言をしている。野々宮の発言の変化が気になるところではある。)このようではいよいよもってあの人を憎みがたい。恨(むべき)は大方の世間の人(の方)であった。あの人を憎みがたいと思ったら、私の軽率な所為を今さらながら取り戻したくなって、「それでも、よもやお腹立ちはなさらないだろう。私の心の清く真っ白であることは、見知っていらっしゃるはずなのだから。」と思うけれど、あれほど仁慈(※じんじ/情け深いこと)深く、義侠心(※ぎきょうしん/義があって人を助ける心)が強い人に、よそよそしく振舞った私は、何という罪人であろうか。そもそも私がはじめて(あの人に)お会い申し上げた頃、(あの人が)「女の身(のあなた)がこのような事(※小説の執筆)に従事するのは大変(都合の)悪いことですが、そうだとしても家の(生計の)ためなのですから仕方がないでしょう。そうではありますが、将来の見込みがある筆づかいなので、努力されれば必ず世にお知られになるでしょう。」などと、父や兄のようにおっしゃられたことなど、(何度も)繰り返し(思い出す)につけても悲しい。いやはや、世間の人は何とでも言うがいい、私にけがれはなく、あの人が清くさえあれば、非難は厭(いと)うところではない。やはり、今の(あの人の)お住まいを尋ねあて、今までのようにただ兄上として親しく交際しようか。そうではあるけれども、あの人が世間にかえりみられない(ほど)醜いお姿などであればよいのだけれど、(※ここでも原文の違いがある。小学館版一葉全集も筑摩書房版一葉全集も<世にすたれたる>であるが、ちくま文庫版日記・書簡集では<世にすぐれたる>とある。後者だと「世間から抜きんでた」と無理をして訳すことも可能だが、自然なのは前者だと判断し、それに基づいて訳した。)(実物は)憎らしいほど美男で、(それだけに)いよいよもって人の口(※うわさ)を防ぎ難く、かつまた、あの人の心にも、(自分が)美男であるために、私がこんなに思い慕うのだ、などと推し量りになられはしまいか、(と思うと)それもくやしい。つまるところは、私は、あの人を慕うのでもなく、恋するのでもない。大方、友情を結び始めた友だち(※あの人)との仲が終始変わらないでいてほしいと願うところから、このようにいろいろと物思いをしてしまうのだ。と、こう言うのも、やはり(私が)自身の迷いに入ろうとする入り口なのであろうか。(※一葉は、あの人を恋しいのではなく、あの人との友情を維持したいのでこんなに悩んでいるのだ、と言ってみたが、その自分の主張に嘘があることを心で感じ、知っているのである。そしてそれが迷いの入口なのではないか、と恐れもしているのである。)今こそ人も私も濁った心(も)なく、(濁った)行い(も)なく、天地に恥じないような交際をしよう。(とはいえ、)だんだん親しく出入りしてうちとけていくにつれて、どのように私の心、人の心が移り変わり行くかは予測しがたい。あの人の是非曲直(※ぜひきょくちょく/物事の是非、正不正のこと。)が、私の眼に映るうちは、まだ(私は)酔っているのではない。(※物事の正しい判断が出来るということ。)ついには、(私が)善い事悪い事の取捨の分別もなくなり、他人からの非難、世間への差し障りを顧みもせず、徳(の道)から外れ、(人の)道に悖る(※もとる/反する)人になるか(どうか)は、今踏みこたえるか、踏みこたえないかのただ(その)一歩の違いである。まったく危なっかしいことといったらない、と思うと何とはなしに身の毛だった(※ぞっとした)。心を一つに集中し、我(というもの)を離れて観ずれば、愛憎、厭忌(※<愛憎>は愛することと憎むこと。<厭忌(えんき)>は、いみきらうこと。)など何だというのか。物への執着心が深ければ(結局、あとの)悔悟も深い。疑心も懸念も依然として凡情、俗心(の中にいる)だけなのだ。(※<疑心>は疑う心。<懸念(けねん)>は仏教語で執着、執念の意。<凡情>は煩悩に束縛されたつまらない感情のこと。<俗心>は名利や愛憎にとらわれる心のこと。つまり、疑う心や執着心は、煩悩にとらわれているのだ、ということ。)それだからこそ、君子の交わりは淡きこと水の如し(※ことわざ/君子の交際は水のように淡白であるが、その友情は永久に変わらないということ。)というではないか。師の君の疑いも、友の妬みも、あの人とのつきあいも、そんなものがなかった昔に戻れば(それが)何だというのだ。(※ここの箇所、小学館版一葉全集での原文では、<師君の疑ひも、友のねたみも、かの人の交りも、無かりし昔しに何事かある。>と読点を施している。この読点の入れ方に従えば、<師君の疑ひ>と<友のねたみ>と<かの人の交はり>の三者が同列となり、その三者すべてが、そのあとの<無かりし昔>の主語となると判断できよう。そこで上記のように訳したが、もう一つの読みがあることも否定できない。よく見ると、<疑ひ>も<ねたみ>も煩悩から来る心の働きだが、<交はり>はそうではなく、異質である。ここではこの<交はり>のみがその直後の文章の主語で、そこに読点は置かず、<かの人の交はりも無かりし昔し>という文章の構成が正しい読みだと判断することも可能である。その場合、「師の君の疑いも、友の妬みも、(私が)あの人と交際することも無かった昔には(そんな)何か(※疑いや妬み)があったというのか(何もなかったのだ)。」と訳すことになろう。いずれでも間違いはないように思えるが、この直後に続く「胡蝶の夢」の文章の趣きから、すべてが夢のように取るに足りないものだという判断を含んだ最初の方を採ることにした。)ただ、荘子の蝶(※胡蝶の夢(こちょうのゆめ)/中国の思想家荘子による説話。荘子が夢の中で胡蝶(蝶のこと)になってひらひらと飛んでいた。楽しくて自分が荘子であることはまるで忘れていた。突然目が覚めてみると、自分は荘子である。すると、荘子である私が夢の中で蝶になっていたのか、逆に自分は本当は蝶で、その夢の中で荘子となっているのか、一体どちらか分からなくなった、という説話。物と我との別を忘れた境地をいう。また、現実と夢の区別がつかないことのたとえでもあり、そこから転じて、この世の歓楽のはかないことにもたとえられる。)が栩栩(※くく/楽しそうなさま)として飛んでいたように、あれも夢であり、これも夢である、ということを知るのみである。(※ここにも原文の違いがある。小学館版一葉全集も筑摩書房版一葉全集も<栩栩たる如く>である。ちくま文庫版日記・書簡集では<翻々(へんぺん)たる如く>とある。これは蝶の羽が翻るさまを表すようであるが、荘子の説話の原文の方に<栩栩>という言葉が使われていることからも前者を採用した。)夢から覚めるのはいつなのか果てしはないけれど、わが心の神明(※しんめい/神のような明らかな徳。)に照らし、(私はこれから)無心無邪気(※文字通りの意味で、煩悩を滅した心でいたいということ。)になりおおせるばかりである。
いわれのないうわさが立った頃、
みちのくのなき名とり川くるしきは
人にきせたるぬれ衣にして
(※<なき名>はいわれのない(恋の)うわさの意。古今集の壬生忠峯(みぶただみね)の歌に、「陸奥(みちのく)にありといふなる名取川なき名とりてはくるしかりけり」(陸奥に名取川という川があるが、名声ならともかくいわれのない恋のうわさで評判になっては苦しいなあ、ほどの意。)があり、それを踏まえる。この半井桃水とのいわれのないうわさは、濡れ衣である、と訴える歌。)
そうだけれどただ、
行水(ゆくみず)のうきなも何か木のは舟
ながるゝまゝにまかせてをみん
(※<行く水>は流れゆく水。<浮き名>は恋愛に関するうわさ。<を>は強調。流れゆく水に何か恋のうわさの木の葉舟が浮いているが、流れるままにまかせてみよう、ほどの意。木の葉舟は恋のうわさの中に漂う一葉自身。)
今日を限りと思いを決めて、(半井)先生のもとを訪ねようという日に詠んだ。
いとゞしくつらかりぬべき別路(わかれじ)を
あはぬ今よりしのばるゝ哉(かな)
(※<いとどし>はいっそう激しい、意。<しのぶ>はじっと耐える意。いっそうつらいに違いない別れ道をまだ会ってもいない今この時からじっと耐えていることだ、ほどの意。)
ある時は厭い、ある時は慕い、別の場所にいて(あの人の)話を聞いて胸を轟かし、目の前にある(あの人からの)手紙を見て涙にむせび、心は乱れ尽くして迷夢(※めいむ/心の迷い。夢のように迷って定まらない考え。)にますます(心の)暗かったこと、四十日を越えた。七月十二日に別れてからこのかた、一日も思い出さないことはなく、忘れる時間は一時もなかった。今思えば、あるいはこれは人生に必ず一度は訪れるはずの通り魔というものの類いであろう。(人の)道に鑑みて良心に問えば、決して決して不愉快なことなく、思い悩むことは全くない。私の徳(※心の鏡)はこの人のために曇ろうとしたが、かえって磨かれることになった。いやはや、これから(それを)ますます磨いて、さらに一大迷夢を見破っていくものだろうか、と思い立ったのは、八月の二十四日、渋谷さん(※渋谷三郎。/真下千之丞の妾腹の子徳次郎の息子で、真下の孫にあたる。当時は新潟県で裁判所検事をしていた。立身出世を絵にかいたような人で、東京専門学校法学部を卒業後、数々の裁判所検事、判事を歴任し、秋田県知事、山梨県知事にまで登り詰めた。一葉の婚約者であったが明治22年に破談している。それでも樋口家との交流は続いていた。直近では明治25年1月4日に年賀状が届いている記述で出ている。)に訪問を受けた(日の)翌日であった。
※今回、小学館版一葉全集、筑摩書房版一葉全集、ちくま文庫版日記・書簡集の原文の違いを3か所ほど紹介し、解説を施したが、実際には細かいところでまだところどころに相違が見られる。ただ、ほとんど意味が変わらない程度の相違も多く、ここでは取り上げなかった。
※底本は「全集樋口一葉 第三巻 日記編」(小学館 1979年)及びその復刻版(小学館 1996年)。(句読点、鍵括弧はこれに準じた。実際の一葉の日記にはほとんど句読点、鍵括弧はない。)また、「樋口一葉全集 第三巻(上)(下)」(筑摩書房 1976年)及び「樋口一葉 日記・書簡集」(ちくま文庫 2005年 これは抄録集)も参考にした。
※一葉の日記は40数冊が遺されているが、実際それは千蔭流(ちかげりゅう)という流派の書で書かれていて、草書もろくに読めない我々一般人には到底解読不可能である。ところが専門の方々にも字の判別が分かれる箇所があるようで、それによって意味が変わる場合も見受けられた。よって上記の本を見比べながら、もし相違がある際は、より自然な流れに沿うようなものを採用して訳出した。
※語訳は出来るだけ原文に即した直訳に近いものを目指したが、現代からすると擬古文は外国語のようであり、直訳するとかえって意味が通じにくかったり、文章のリズムが大きく崩れるような箇所が出てくる。その時にはどうしても意訳に近くなる場合もあるが、極力補助の言葉を入れることによってそれに対処するよう心掛けた。また、日記の文章の時制は大半が現在形であるが、日記としての読みやすさを考慮して、問題のない範囲で適宜過去形に修正している。
※括弧のみ( )の補注は分かりやすくするための補助の言葉、読み、西暦などで、※を付した括弧(※ )には言葉の意味、解説などをほどこしている。店名や人名など極めて専門的な脚注は上記の4冊のものを参考にした。なお、年月日の数字は見やすいように元の漢数字からアラビア数字に置き換えた。
※参考文献は上記の他、次の通り。
「新潮日本文学アルバム 樋口一葉」(新潮社)
「一葉伝」(澤田章子 新日本出版社)
「一葉樋口夏子の肖像」(杉山武子 績文堂)
「樋口一葉「いやだ!」と云ふ」(田中優子 集英社)
「一葉語録」(佐伯順子 岩波書店)
「一葉の四季」(森まゆみ 岩波書店)
「樋口一葉 人と作品」(小野芙紗子 清水書院)
「樋口一葉赤貧日記」(伊藤氏貴 中央公論新社)
「全集 樋口一葉 第四巻 一葉伝説」(1996年版 小学館)
「新装版 一葉の日記」(和田芳恵 講談社文芸文庫)
「全集 樋口一葉 第四巻 評伝編」(1979年版 小学館)
「佐佐木信綱記念館だより」 平成17年3月20日 第19号(三重県鈴鹿市 佐佐木信綱記念館)