見出し画像

限りなく透明に近いクズ


そう、例えば
例えば
自分の思ってる意図と違う解釈をされたり
自分の思いが上手く伝わらなかったり
だからあんたはダメなんだと言われたり


私は私の存在を消す。そういう時いつも私がやっていることだ。
正確には私は私を殺している。存在を消すってそういうことだろう?
だってそこには自分の意思とは関係ない思いが溢れ、見下され人格を否定される。
私は私でいるために私を消すのだ。私を殺すのだ。だって息を吸ったなら注意という名の人格否定が、評価という名の見下しが、だからあんたはダメなんだという毒と共に、私の肺に入ってしまうからだ。
だから私は殆ど無意識に、息を吸うのと同じように自分の存在を消す。私を私で殺すしかない。だってそうしないと正気なんて保ってられなかった。
私は私を生きるためにそれしか術を知らない。


私はいつも怒られるのを怖がっている。そしてだから私は人を怒るのが苦手だ。そもそも人は自分の感情で動いてるのが殆どで、自分の今抱いてるいる思考が感情なのか理性に基づくものか、冷静に判断できる人は多くはない。
それは自分の考えが全てだと人間は思うからだ。自分こそが正しいと、自分は間違ってないと思いたいからだ。正しいことを言うよりも自分の非を認めることの方が難しく、いつだって世の中は批判で溢れかえっている。
私は何が正しいのか、分からない。

だから私は怒ってる人がキライで、怒れる人が羨ましくて、怒れない自分が嫌いだ。
もっと嫌いなのは怒ってる自分であり𠮟れない自分だった。
だから叱り上手な人を見た時、すごいなと思うと同時に私にはできないといつも思う。
それは私が人から怒られるのをいつも怖がっているからであり、私がそれを怖がっている限り、人に本当の意味で叱ることはいつまでたってもできないままだ。

だから私が私を見ようとしない限り、負のループからは抜け出せない。永遠に続く。
分かっているんだ、ほんとうは。

私が怒られて黙っているのは、自分を省みているからではなく、反論して傷つくのが怖いから。
いつだって傷つくのが怖くて、自分が可愛いのである。
自分を守ってるフリしていつだって傷つけてるのは、他人でも他の誰でもない自分だってこと。
自分の首を自分で締めていることに、気づいていたんだ最初から。

本当に情けないのは、怒られている自分でも、反論できない自分でもなく、最初から諦めている自分だ。痛みを受け止め必死で耐えているようでいて、傷口を広げているのはその自分自身なんだって早く気付けよ。
戦わないで諦める方が簡単だもんね?
変わらないいつもの自分でいる方が楽だもんね?
弱くて情けない自分は可愛いもんね?




情けないよね、ほんとうに。
結局いちばん、自分が可愛いのである。

ここから先は

832字
たった1度の100円で過去と未来の記事が全て見れます。

私の言葉に少しでも触れて欲しい。そんな思いからこのマガジンを作成しました。有料記事が1回100円払うだけでずっと見れます。私の思考へ触れた…

少しでも好きと思ってくれたら、何かを感じて頂けたなら幸いです。あなたのそのサポートが私を形作っています。 あなたがこれからもますます豊かでありますように。