【第零夜】「百夜百冊」はじめました
先だって「ブックカバーチャレンジ」なるものがSNS上で流行った。自分がこれまで読んできた本の中から7冊を選んで紹介するという趣旨のものである。私も友人から回ってきたのでやることにしたものの、この手の「バトンもの」があまり好きではないため「漫画しばり」に変更して手っ取り早く終わらせてしまった。しかも、通常は何人かにバトンを渡さなくてはならないのであるが、「不幸の手紙」やら「〜バトン」を自分のところで終わらせることに使命すら感じているため、「ブックカバーチャレンジ」も自分のところで止めてしまうことにした。
私が「ブックカバーチャレンジ」を止めてしまう一方で、友人の中島大希さんは自分の受け取った「ブックカバーチャレンジ」をかなりストイックなものに変えてしまった。通常ならば7日間連続7冊でよいものを何と11倍の77日間連続77冊に変え、「ブックカバーチャレンジ77」としてしまったのである。この77日間連続77冊が終わったところで、半分冗談、半分本気でこんなコメントをしてみた。
「77日はマジですごいですね!松岡正剛の「千夜千冊」といかないまでも、中島さんなら「百夜百冊」くらいはいきそう」
中島さんはその私のコメントを真に受けて、その後も23日連続23冊の「ブックカバーチャレンジ」を継続し、2020年8月22日に100日連続100冊の「ブックカバーチャレンジ」、「百夜百冊」を完遂してしまった。こうなると、この素晴らしい挑戦をした中島さんに対して私なりの敬意を表したくなる。そいういうわけで私なりに「百夜百冊」にチャレンジしてみようと思ったわけである。
ただ、私は中島さんほどストイックに100日間連続100冊ということができないし、何よりも紹介しようと思う本が100冊あっても、ずいぶん昔に読んだ本だと内容自体をほとんど忘れていたりする。せっかくの機会だから少し時間がかかっても、再読しながら100冊を積み上げていってはどうだろうかと考えたのである。したがって、何年かかるかはわからないし、途中で挫折する可能性も多分にあるのだけれども、とにかく1冊1冊地道に積上げて行ってみようと思う。
閑話休題。
第零夜の今日は、本ではなくこの「百夜百冊」を始めるきっかけを与えてくれた中島大希さんについて触れておきたい。自分の方で残っている記録をたどった限りでは、中島さんと出会ったのは2013年4月のことである。当時、「ドラッカー読書会」という、P.F.ドラッカーの「赤本」シリーズを輪読する会をやっていて、そこに中島さんが参加されたのがきっかけである。「科学技術の発展の背景にはエロと軍事がある!」というような話になり、「エロと軍事の中島です!」というのが中島さんのキャッチフレーズだった。兵庫県の出身で軽妙な関西弁を話すおもろいおっちゃんというのが第一印象だった。ちなみに最近気づいたことであるが、中島さんは「よしもと新喜劇」の座長を務める川畑泰史に似ている。
2014年の3月から私が仕事の関係でサウジアラビアに赴任したこともあり、私はドラッカー読書会に出られなくなってしまった。ところが、中島さんのご自宅と私の実家が駅を挟んで南北に位置しているという偶然もあり、大体3〜4か月に1回の一時帰国の際にはほぼ必ず中島さんとお茶をするというのがある種の「お約束」となった。今から思うと、サウジに赴任していた時期が中島さんと最も会う頻度が高かったのである。
早朝のスタバでコーヒーを飲みながら3時間くらいかけて、サウジの話や国際情勢、ビジネスの話などとにかく色々な話をした。中島さんはすごい勢いでノートにメモをして、別れた後にお礼がてら話した内容のサマリーまで送ってくれる徹底ぶりだった。中島さんと面識のある人だと大体皆同じことを言う。「ものすごい勢いでノートにメモをする人ですよね」と。おそらくこの勉強熱心さが、仕事への情熱や様々な人間との出会いにつながっていて、「よき人生」につながっているのだろう。ちなみに中島さんが100日間のブックカバーチャレンジの際に毎回しめくくりの言葉として用いていたのが、「では、よき人生を」というものである。
現時点での自分の人生が「よき人生」であるかはわからない。ただ、自分の人生において中島大希さんと出会えたことは、「よきこと」のひとつであることは確かであると思うし、自分がこれからなそうとすることの「きっかけ」を与えてくれた人の一人である。
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