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皇族から妻を寝取った?藤原不比等
藤原不比等といえば、大化の改新実行犯の藤原鎌足の息子で、藤原政権を確立した人、程度の認識しかありませんでした。が、土橋寛氏の『持統天皇と藤原不比等 日本古代史を規定した密約』(中公新書)を改めて読んでみたら、寝取り?!と、驚く。一体何が起きていたというのか?
藤原不比等に寝取り疑惑!相手は皇族の妻?
藤原不比等には、蘇我氏の奥さんだけでなく、橘(県犬飼宿禰)三千代という妻もいます。この三千代さんは、不比等が寝取ったんじゃないか?という疑惑を本書では提示しています。
元々、三千代さんは、持統天皇の信頼が厚く、バリバリ仕事してた様子。20歳前に美努王という敏達天皇の息子と結婚し、3人ほど子どもを産みます。その後、不比等と結婚し、聖武天皇の皇后となる光明子を産みます。Wikipediaの橘三千代の項では美努王と離別後、不比等と結婚したとされてますが、著者の土橋氏は、光明子の出生時期から計算すると、美努王が筑紫太宰帥として九州太宰府在任中に光明子が産まれていることになり重婚じゃないか、と指摘しています。権力者不比等の前に美努王が泣き寝入りさせられた上、太宰府に行かされたんじゃないかとの衝撃の説を唱えています。
えー!もし土橋説ならサレ夫は皇族!
当時離婚が一般的でwiki情報どおりなら良きですが、そうじゃなければ大問題では。特に重婚は当時も罪が重く、他事例では遠島になってることを紹介しており、不問に付されているのは権力者達の話だったからでは、と、本書では結論づけてます。
県犬飼宿禰三千代、またの名を橘三千代
この女性は相当な傑物のようです。どうも本書では、藤原氏が天皇の后を出す道筋を開いた人と見ています。皇族同士が近親婚を行うことで、壬申の乱だの大津皇子の死罪だの、皇族間での権力争いでが発生することを憂いた持統天皇は、自分の孫の文武天皇の妃に藤原氏の娘を据え、非皇族の皇后への道筋をつけます。この時、持統天皇と不比等の間に立って調整したのが、どうやらこの三千代さん。さらに文武天皇が若くして亡くなり幼い聖武天皇に代わって元明天皇(女性)が即位した際には、橘の姓を特別に賜っています。そして、最終的には自分と再婚した藤原不比等との娘を聖武天皇の妃に送り込み、非皇族初の皇后誕生となります。
また、すごいのが、不比等の前夫美努王との間の子ども達も出世してるんですね。それが橘諸兄。藤原不比等の子ども達四兄弟が流行病で全員一気にこの世を去ってしまった後に、奈良時代を仕切った人です。橘氏は、諸兄の後に藤原氏の逆襲を喰らって衰退しますが、どちらも三千代の末裔。持統天皇と元明天皇という二代の女帝の信頼が厚い、女性秘書官長と言ったところでしょうか。その政治上のパートナー藤原不比等と結婚しちゃった、ということなんでしょうね。なんだかすごい話です。
不比等と三千代、妄想劇場
持統天皇のため忙しく働く県犬飼宿禰三千代。最近、夫の美努王ともすれ違いが続き、いつしか夫婦関係に隙間風が。持統天皇の後継者問題で一緒に仕事しており、よく顔を合わせていたエリート藤原不比等に、仕事の話の合間に、つい夫の愚痴を言ったり相談したりしているうちに、いつの間にやら2人の間に子どもができてしまい…。
未だ美努王との関係が終わっていない三千代。焦る2人に、上司の持統天皇は、
「あ〜ら、いいじゃないの。私が信頼してる貴方達が結婚しちゃえば私のかわいい草壁皇子も安心よね〜。私は三千代ちゃんの味方よ〜。不比等もイケナイ子ねぇ。美努王?太宰府にでも行かせれば?」
そして、美努王は太宰府へ去り、数年後に死亡したことで重婚状態は解消。時の権力者たちのことに誰も何もいえず。
と、勝手な妄想をしてしまいました。案外、これが正解だったりして。
不比等という男
ところで、この記事を書くにあたり、本書以外でも色々と調べてみたところ、この不比等の子、藤原四兄弟のうち3人は蘇我氏の娘との子ですが、最後の1人は五百重娘という異母妹との間の子どもだということに気づく。ええええ、寝取るは、妹と結婚するは、不比等って相当二次元エロ要素満載のヤバい奴だって思いました。
それはそれとして、本書のゴシップ部分に目を奪われてフォーカスした、偏った内容紹介になってますけど、その他、藤原宮の場所の謎やら何やら、色々と書いてあって、面白い本ですが、すでに絶版のようです。アフェリエイトやってないのですがAmazonの中古をご案内。👇