野田城の整備活動に参加してきました
元亀四年(1573年)1〜2月、武田信玄が2万5千の軍勢に対し、徳川方菅沼定盈はわずか400人の軍勢で籠城。水の手を抜かれて最後は開城しますが、戦国最強を謳われた武田信玄と1ヶ月対峙し、信玄最後の戦いとなった場所として有名な野田城。
こちらの土地が市に寄付されたことをきっかけに、城の本丸崖、南東側の整備活動を、2024年3月9日(土)に地元のちさと郷土研究会が実施しました。
ので、私も参加してきました。
地元の定年退職後の方々が中心のこの会。
まだまだ動ける元気な方が多く、昔からさまざまな地域作業をこなしてきただけあって、阿吽の呼吸で動いています。
なにより、機材が充実。一番驚いたのが、切った木をチップにする機会。
こんなものがボランティア保有機材として普通に登場する地域って・・・。笑。
農村地帯恐るべし。
伐採した木を入れると、あっというまにチップとなってドバドバ排出されます。
これまであまり手を入れてこなかっただけあって、木も多く生えているが、これまた、会員は小型チェーンソーを当たり前のように持っており、どんどん切り倒していく。人の身長の2倍以上ある木が次々と伐採される。
その木をチップにする機械まで運んでいくのも重要な役割。私のような機材を持っていない会員は、木を運ぶのが主な役割となる。まぁ、重い。筋トレ代わりに木を運ぶこと2時間。背中と腕がパンパンに。
そして、薮も多いので次々と草刈機で刈り払われていく。
これまで木や藪に覆われて地表面が観察できなかったのですが、平坦地が途中で現れて、ああ、こんなところに曲輪があったのではないか、と、会員で盛り上がる。こうした瞬間に立ち会えるのが、整備ボランティアに参加している醍醐味です。
3時間の作業を行い、ある程度綺麗にはなったのですが、まだまだ作業が必要だなぁ、というのが皆の感想。
と、言うわけで、また整備活動を日を改めて行うこととなりました。
野田城はこれまでも三の丸や二の丸の散策路の整備などが行われてきました。今後、ますます見やすくなる野田城にご期待ください。