山田から連絡がきた話
インフルエンザを発症した。何十年ぶりだろうか。風邪を引かない体質なので(なんとかは風邪を引かないというではないか)自分でも驚いている。11月くらいから精神的に落ち込み始め、ずっと精神の低いところを流れていた。そこに3泊4日の、4:00〜23:00まで働く関西出張が加わった。普段と異なる環境に慣れず、ぐったりとしていた。また周囲ではインフルエンザも流行っていた。インフルの発症条件は整いすぎるくらい整っていたのだ。38度以上の身体でふらふらと仕事をして関東に帰り、病院に行ったら「インフルエンザA型ですね、お薬処方しておきますね」と早口で言われたのであった。
出張1日目。山田からLINEが入った。山田の誕生日に、おめでとうってスタンプを送った以来のやりとりだ。『そういえばこの前言い忘れたんだけど』『あれからなんかできるようになった?』。これはセックスにおいてできることが増えたか、という質問である。何が?ととぼけることもできたけれど、主語の足りない、日本語の不自由な山田に(そしてそれは半分照れ隠しなのであることをわたしは知っている)慣れてしまったこともあり、そして出張中につかれていたこともあり、「なにもないよ」とぶっきらぼうに返してしまったのだった。
山田はめげずに、最近した人とはどうなの?と探ってきた。これはべつに、わたしが話し始めたわけではない。それとなく相手がいるのかの確認。最近セックスをしている男はいるのか、という趣旨の質問である。山田のそういう遠回しな表現にうんざりして、「していない」と返すと、LINEは止んだ。している、と素直に返したら、会うことになっただろうか? 誰よりもちんこで優れていたい山田のことである。おれのちんぽで上書き、と称して会うことになったのかもしれない。けれども山田の性格を鑑みると、それと同じくらい、二度とLINEが来なくなる気もしてきた。していないと言われて、山田はうれしかったろうか? していないと言われて、それならしばらくLINEしなくても(おれが引き留めなくても)大丈夫だと思っただろうか? はたまた、古橋ちゃんのいうことはうそ八百だと思って、ふて寝しただろうか? 山田の思うことは、わからない。人様の思うことはわからない。そして山田にも、わたしのほんとうの気持ちはわからない。
わたしの好きなタイプは山田だ。頑健な肉体を持ち合わせ、横暴な振る舞いをしながらも、その中に繊細な精神を持ち合わせる。そんなアンバランスな心身を宿す男に、わたしは昔から弱い。山田はかつてわたしの憧れだった。強くて物怖じせず、誰にも媚を売ることのないその振る舞いが眩しくて、欲しくて欲しくてたまらなくって、後ろから見つめていた。ほんとうは自信がなくて、他人にどう思われるのか不安で仕方がなくて、家族が大好きで、愛されるのが当たり前だと思っていて、わがままで可愛くて、不器用なやつなのに。それに気づいたのは、セックスをし始めて何年か経った後だった。
山田のことを棄てる、嫌いになる、というような思いで、今月の山田からの連絡を冷めた目で見てみたけれど、ここまで自分の認識を深めてくれたのもまた山田であった。絶望を経たあとにじんわりと染み込んでくるのは感謝だったのだなあ。この間、フォロワーのDJの人にKAMAUUの「MANGO」を教えてもらった。もう終わった恋の話なのだけれど、慈愛に満ちた言葉で祈りが捧げられるのだ。元恋人と一人の人間として向き合っている曲だった。なんとなくわかる。確かにわたしを、良くも悪くもここまで達観させてくれたのは、山田のほかに誰もいないのであった。
でも、言いたくねえな。
山田にありがとうって、言いたくない。いっぱい泣かされたし、酷いことも言われたし。
わたしはそこまで聖人にはなれません。
23日、「クリスマス、山田は何するの?」って、送ってみた。すぐに「仕事だよ」と返ってきた。それから、「古橋ちゃんは固定(山田語でいう、長らくのセックスフレンドのこと)はいないのか、流石に誰かとはしたんだろう」と尋ねられた。いきなりかよ! そんでまたソレかよ! この間も答えたのにな、嫌なやつ。そんなにわたしの性生活が知りたいのか。別に本当のことを言う義理もないので、適当なことを言っておいた。詮索されると、冷めていく。血がさらさらさらさら、笹舟が進むみたいに、下に下に降りていく。
山田とは頑張れば会えそうだったけれど、結局返信を見送って、本日、クリスマスに至るまでセックスをしていない。けれども、特に執着もしていないのだった。というかどうでも良かった!山田は大学の男の子たちと飲んだことをわたしに伝え、わたしと山田の共通の友人同士が酔った勢いで「やった」話を教えてきたけれど、ほんとうにどうでも良かった。わたしはその子たちが「やった」話は知っていたし、それがどんなふうだったか、しかもどんなふうに「最悪」だったのか(トイレがめちゃくちゃ汚かったらしい笑)、女の子側から聞いていたけれど、話さなかった。わたしはもう山田のように「やった」「やらない」の世界では生きていないのよ。昔はそれで一喜一憂していたけれど、もう違う。「やった」ときに「質が良いか」「そうでないか」を判断するようになってきたんだ。大人だからね。セックスは、愛の行為だよ。愛の行為でないならば、そう感じられないのならば、そんなのは馬鹿げた時間の浪費である。わたしはもう山田とのセックスに物語を見出すのをやめた。むだだもん。わたしは山田と、言葉や五感を使って、二人だけの物語を作りたかったんだけれど、それもできなかったんだから仕方がない。努力してもどうにもならないことを非難するのはナンセンスだ。それならばわたしが離れて、べつの、物語を作れる男の人を選んで愛したほうが早いのだ。外国のアーティストにうたわれた愛というものが、ほんとうに在るのかわたしは知らない。相手のことを思いやって、そっと後ろから支えるような関係性がほんとうに存在するのかは知らない。互いが互いの魂の支えとなるような感覚は、文学にしかあり得ない、幻想なのかもしれない。でもそんなのわからないじゃないか。わからないなら信じるほかないじゃないか。信じないよりは信じていた方が、なんだか夢があるんじゃないかって、古橋は思う。
山田は今日もがんばっている。スタンプで答えても、「うん」とか「そうなんだ」っていう塩対応で答えても、しぶとくなんらかの話題をふっかけてくる。最近は「大学の友達のことなんて全然覚えていないんだ」って言っていた。(飲みに行ったんだろ! 設定忘れてるんじゃねえよ!と突っ込みたくなるのを我慢した)この人、まだわたしと「やり」たいのかな。いやそれだけじゃないな。わたしに好かれたままで、でもその想いには答えないままで、居心地よく呼吸をしていたいのだろうな。なんだかなあ。少し前だったら飛び上がって嬉しがったと思うのに、もう全然、どきどきしないんだよね。
山田も「会いたい」って素直に言えばいいのにな。そうすれば少しはわたしもうれしいなって気持ちになると思うんだけど。素直になれないと、いざという時に手に入れることができないんだ。勉強になった。いつまでも素直でいよう。素直に好きな人には好きって言って、どう思われるかとか、恥ずかしいとかそう言う気持ちは捨てて、ちゃんと自分の気持ちに正直でいよう。やっぱり先輩には積極的に声をかけていかないとね。
正直山田のことはもぉ救ってあげられない。上から目線すぎるけどね、素直にならないとだめだよ、後悔するよ、なんて言ってあげられるほど、救ってあげられるほど好きじゃなくなっちゃったから。この人に、人生をかけてぶつかったこともあったけれど(そしてそれはいつも不発に終わったんだけど)、今となってはあれはなんだったんだろう、エリクソンの発達段階の1つだったのかしら、とか思っている。
あのね。
沼はいつか干からびるよ。干からびちゃう時が絶対にくるんだよ。なんで干からびちゃうかわかる? 沼に浸かっていた自分が、そのどろどろを吸い取っちゃうからなんだ。全部全部染み込ませて自分の身体の中に取り込んじゃうからなんだ。ということで今、山田沼、カラカラ。アフリカの砂漠みたい。全部全部古橋ちゃんが食べちゃったから。カービィみたいにね! 気づいた時には、もう、周りはカラカラだったの。全部全部山田のこと、食べちゃったみたいなんだ。だからもう好きになるところがない。なーんにも残っていないんだもん。
これが多分、山田との本当の終わり。
もし今後、山田と会ったり、セックスしたりすることがあっても、昔みたいに星が両手いっぱいに落ちてくるような喜びは、感じられないと思う。それはさみしいことだけど、他の人で感じられる時が来るまで、わたしはじっと待っていたいと思う。山田はもうだめなんだ。山田は星にはなれないんだ。
山田は死につつある。不謹慎かな? でもそんな感じがするの。その辺の男と同じ。その辺の男とマッチングして、適当にご飯を食べて、性欲があれば一緒にホテルに行って。それとおんなじ。そしてそれは山田でも、山田じゃなくてもできること。山田はこれから山田じゃなくなっちゃうと思う。山田じゃなくて、「その辺の男」として位置付けられていくんだと思う。それが恋愛の終わり。山田、死んじゃった。あんなに好きだったのに、こんなに容易く死んじゃうんだ。
沼にはいつか終わりが来て、多分それは自分が自分を乗り越えた証なんだよね。沼は意外と吸い込みに弱い。感受性豊かな肉体に弱い。だからこれからは自分のために生きていく。山田のためじゃなくて自分のために生きて、嫌なことはきちんんと嫌だと言って、好きな時に返信を返して、好きな時に山田にLINEをするんだ。
全部大丈夫になるって自分に言い聞かせてきた。そうしたら、ほんとうに大丈夫になった。だからみんなも絶対に大丈夫になるよ。いまは安心してどっぷりと沼に浸かっていてください。この前、沼から抜け出せませんというお悩みに、それっていま抜け出さなくちゃいけないんでしょうかって返しました。抜け出せる時は自然に来るんじゃないでしょうかって。わたしがそうだったから。大丈夫だから。待ってて、ほんとうに、大丈夫だからね。この文章を読んで、少しでも気が楽になれば嬉しいな。手放すときは、自分に必要なくなった時。手放せないときは、自分にまだ必要な時なんだよ。山田が離れていく。いやわたしが離れていったんだな。これから山田は山田でなくなる。山田はただの男になる。そうしてだんだんゴミみたいになって、そんなこともあったなーという簡単な記憶の断片が残るようになる。感謝はしている。少しだけ。でもその感謝も山田に未練があってこそ。感謝も、だんだん、薄れていくものだと思うから。忘れていくものだと思うから。のんびり終わるまでやりとりを続けて、自分の内面と対峙していきたいと思います。
山田のnoteはこれにておしまい。
今後何か進展があればまた書きますね。
続きは、また明日。