歌集『汀の時』
紙の本のよさは、人生をともにできるということ。
つくづくとそう思える、素晴らしい一冊をご紹介したいと思います。
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遠く降る雨の匂いと思うほど静かにそろう前髪がある
木をはなれ地につくまでの数秒の祈りの坂をぼくは下りぬ
窪田政男 歌集『汀の時』 月光文庫(2017)
どの頁をひらいてもよい。驚くほど美しい引力を持つ歌を目にすることになる。短歌について難しいことは分からなくともよい。瞬く間に言葉の放つ世界に浸ることになる。
読み終えてふとわれに返ると、あたり一面が雪におおわれたかのような静かな光を感じる。雪を踏みしめる足音、梢の雪が落ちる気配、手の冷たさ、溶けゆくかぼそさ、吐く息の白さ、空の遠さ、そうしたもろもろを心の奥深くに沁みこませるような、滋味深い歌集である。
本書の歌が詠まれた時期、著者は重度のアルコール依存症との闘いの最中であった。それはまず、みずからをある種の仮死状態にすることだという。生への志向は、依存症を断つという目的にとって害となる。人と会うこと、働くこと、人生を楽しむこと、これらはアルコールへの誘因になりかねない。だから遠ざけることが望ましい。そうした禁欲的な生への姿勢と、衰弱したからだによって、二重の意味で死に近接していた。このような特異な状況のなかでこれらは詠まれた。
起きぬけの鏡にうつる輪郭をなぞれば頬の骨で止まりぬ
水菓子のたとえばそれは傷ついた鳥をつつみし手の椀に似て
みずからの肉体に関した歌も多い。まるではじめて目にするもののように、まじまじとみずからを眺めている。通りすがりの猫や、日々の風景や、うつろう季節と同じように。内省というよりも、どこかからだから発した五感の歌だと感じるのはそうした理由だろうか。
雨の上にゆうぐれ来たり悲しみの背骨のごとく鉄塔の立つ
そう、たとえば机のうえのノートにもはにかむような血の痕がある
そして歌のなかの眼差しには静かで烈しい諦念がある。
この烈しさはすべてを紅く染め上げる夕陽のようである。万物に濃く長い影を投げかけ、山あいに溶けてゆく夕陽。そして夜が生まれる。はじめて目にするみずからの肉体のように、夜は常に新しい。その新しさというのは独りから発する。かけがえがなくどうしようもない独り、という感覚は烈しい諦念と表裏一体であるように思える。独りを取り替えて、日々を進めていく。
見おさめともう見おさめと過ぎる日の退屈きわまりなき愛しさ
われらとは言いえずわれは風を待つ一斉の桜ひとひらのみ散る
美しい装幀の歌集。本文の色が濃紺というのも内容とよく合っている。
生涯手元に置いておきたいと思える一冊。
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この本は大阪・中崎町にある葉ね文庫さんで紹介していただきました。
のちに葉ね文庫さん店内で、著者ご本人に何度かお会いできて色々なお話を伺い、とても有意義で貴重な時間を過ごしました(昨年の夏頃)。
サインも頂きました。
※歌集『汀の時』は、とても素晴らしいのでぜひ手に取っていただけたらと思いますが、現在アマゾンなどでは値の上がった中古本のみとなっているようです。
著者ご本人に確認してみると、現在委託は葉ね文庫さんのみですが、少しだけまだ店頭に残っているようです。
※窪田政男 第二歌集『Sad Song』(皓星社)2023年6月刊行予定
とのこと。こちらも楽しみです(著者確認済)。
先行して11首が読めます →「詩客」http://shiika.sakura.ne.jp/works/2023-03-10-23708.html