「何にもしない」ということをする話。
夕食が済み、皿洗いも終わって、子供の宿題も片付いて、お風呂に入るまでの時間。
この時間は、我が家では手持ち無沙汰と言いますか、何もやっていない時間です。いえ、正確に言えば、何かはしているのですが、何もしていないと言ってもいい。贅沢であり、無駄な時間を過ごすわけです。
たとえば、8歳の息子と5歳の娘は一緒に人形で遊んだり、テレビのバラエティ番組(ドリフだったりハプニング映像モノだったり)やアニメ(ドラえもんだったりクレヨンしんちゃんだったり)を観たりしています。妻も、ダイニングテーブルかソファでスマホをいじったりしています。私も、晩酌をしていたり、本を読んでいたりしています。
でも、私は、本当は何もしていないのかもしれません。晩酌と言ってもそこまでお酒は強くないし、つまみと称して無駄なカロリーを貪っているだけですし、本を読んでいたってそこまで集中もしていないので、頭にはさして入ってこないのです。
風呂に入るまでの間、何か時間を潰しているわけです。「お風呂に入るのめんどくせえな」と思いつつ、「何もしていないのはなんとなく勿体無いな」と思ったりして、結果的にダラダラして「何かする」ことで、空いた時間を埋めているのです。
本当は、こういう時間を使ってnoteの記事を書いたりするのも良いかと思っているのですが、どうもそういう気にもなれない。noteの記事を書くには結構体力が要ると言いますか、アイデアは思いつきますが、実は私は、書き上げた後の推敲にめちゃくちゃ時間をかけるのです。「ここまでなら書いていいかなぁ」「この表現は誤解を招きそうだから直そうか」「長すぎるからもう一回書き直すか」とかそんなことを考えて、あれやこれや叩いて揉んで、そしてようやく「まいっか、どうせ誰も真剣に読んでないし、考えてもしょうがねえな」と思い直して、記事を公開しています。
そういうわけで、記事を推敲するにも時間がかかるし割と集中力が必要です。noteの存在は家族に言ってないので、やたらとスマホをいじっていたら疑われるような気もします。なのでやっぱり、そういうことをするのは、なんとなく家族の前では憚られるし、いや別に私がスマホで何かしていても家族は何も言わないとは思うんですけど、何だかそういう態度が自分の中で受け入れ難いというか。
とにかく、家族が一緒に居る場所で、出来ることならあまりスマホをいじるのではなくて、子どもたちの顔を見たり、話を聞いたり、遊ぶ姿を見たり、なんとなく「何もしないで、ただそこに居る」ということをしていたいわけです。「何もしない」ということをしていると言いますか。意味分からんないですけど。
結局何が言いたいか。
要するに「何もしてない」わけです。私は。
どこまでいっても、実りはありません。
呼吸とか、そういった生存活動的なことは別として、何か能動的にやることは無くて。
やれ生産的なことをした方がいいとか、効率的な時間の使い方をすべきとか、そういうのはよく分かるし、そういうのが必要な場面もあるけれど、常にそういうことができるほど、私は優秀でもなければ、立派な人間でもないです。意識も高くないし。ただダラーッと、それでいて、何かをしているようで結局何をしているわけでもない。無作為に過ぎる時間をただ眺めたりして、流れに身を任せるだけ。
つまり、そういう時間を過ごしていますという報告。そういう時間があってもいい。そんなふうにして自分に言い聞かせて、今日を終えるわけです。
なんでもない日常でも、とりあえず書き記してみることで何か生まれるかもしれない。フォローさせていただいている方の記事を読んで、そんなことを思いました。
https://note.com/kiidautoi/n/n5a4e03962058
この方の書かれる文章は、一言一言に味と言いますか、血が通ってますね。どれをとっても名言です。
なんだか勇気を頂きました。
何でもいいから書けばいい、と。こんな私でも、とりあえずコンテンツ化しちゃう。それでいいし、それがいいんだと思います。
そんな、一旦書き始めたテーマがあまりに混みいっちゃって、なかなか着地点が見えずに、また長々と肥大化した下書きの文章を横目に見つつ、現実逃避でこんな記事を書いてみた次第でございましたとさ。おしまい。
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