軽傷との向き合い方の話。

先日、ショッピングモールに買い物に行った時のこと。

子どもにせがまれて、ゲームセンターのコーナーに寄ることになった。

ところで、昨今の我が家のブームはクレーンゲームなのだ。だが、残念なことに、私含めて家族みんなクレーンゲームスキルなんて皆無である。

なので、「クレーンゲームやりたいけど絶対景品取れないよな…」と諦めを抱いている。ただ、それでも「もしかしたら万が一ゲットできるかも…」という淡い希望にも取り憑かれている。

要するに、何やかんやで天使(諦め)と悪魔(淡い希望)が戦っている。実は、ゲームセンターに来ると毎回いつもこうしてクレーンゲームをやろうかどうか葛藤しているのだ。

今回は天使が勝った。無駄金を使わなくてよくなったのでホッと安堵しつつ、その場を後にしようと思ったところで、子どもから「だったら、メダルゲームをやりたい」とのことを言われた。

まあ、それじゃあ面白そうなメダルゲームがあるか探そう。そう言って子どもの手を引き、メダルゲームコーナーを散策する。

すると、その一角に「メダル洗浄場所」とデカデカと書かれた大きな看板があった。その下には、何やら大きな箱がある。

へえ、メダル洗浄?どうやってやるんだろう。私はそもそもメダルゲームを普段やらないし、そのメダルを洗うようなシーンが思い浮かばない。普通にメダルゲームユーザはメダルをジャブジャブ洗うんが当たり前なのかな?メダルゲームってなんか小さいバケツみたいのに入ってるから、そのバケツごとこの箱の中に入れて洗ってくれるとかかなぁ。

そんなことを想像しながら、おもむろに私はその箱を覆っていたフタを開けてみた。

すると、なんかよく分からない数枚のメダルが箱の底に落ちていた。なにやら隙間みたいなのがある。そこにも何枚かメダルがあるような…。

本当によく分からない。分からないんだが、何となく触っちゃいけないような直感が働いた。それに、ちょっと離れていたところで店員さんが見ていた気がした。その視線も気になったので、私はそのまま何もせずそっと箱のフタを閉めた。

そうして帰ろうとしたところ、一緒にその場にいた子どもが、なんと私のマネをしてメダル洗浄の箱のフタを取っているではないか。

その途端、店員らしきお姉さんが走ってきて、

「ごめんなさい、これはお店で使うものなんです〜」


とのことを言われ、大いに赤っ恥をかいた。

顔を赤らめながら「す、すいませんっ」と言いながら、そそくさとゲームセンターを後にする我々親子。あー恥ずかしかった。

が、家に帰ってから、よくよく考えてみた。

その時の私は恥をかいたように思ったが、本当にそうなのか?恥なんてかいたのだろうか。疑問が浮かんだ。

私はたしかに、本来お店側で使うはずの備品に手を触れてしまった。客にも関わらず。それで注意を受けた。恥ずかしかった。

けれど、恥ずかしかった気持ちはたしかだが、私に非はあったのだろうか。

その「メダル洗浄場所」は、そもそも看板にそう書いてあった。あまりにデカデカと書いてあるものだから、てっきり客側で何かやっていい場所なのかと私は勘違いした。

それに、その「メダル洗浄場所」は明らかに店員さんが居るようなカウンターとは離れた場所に配置されていた。何なら、両替機の隣にあったのだ。

いや、もしかしたらその機械は一般的に、常識的にお店のものだと認知されているなら、この恥ずかしさは私の無知ゆえに招いた事態だ。それに、その看板にはもしかしたら「触らないでください」みたいな記載があった可能性もある。私がよく見ていなかったかもしれない。

しかし、そうでないのなら、あまり私に非は無いんじゃないか。そんなことを思った。うん、そうだ。そうだよ。私は悪くない。恥ずかしかったけど。

問題は、この恥ずかしさなのだ。非があるかどうかというのは、実はそこまで問題ではない。

この恥ずかしさは、私にとって心の傷だ。

問題なのは、店員に注意されたことで私が勝手に自分に非があると勘違いして、それで劣勢の立場に立たされたことが恥ずかしく思ったことだ。「みんなそれはお店のものだって知ってんのに、何でお前は知らないんだよ」みたいな嘲笑すら妄想してしまった。

だが、その恥ずかしさというのは、軽症と言っていい類の傷だ。立ち直れないほどの大きな傷じゃない。

私に最も足りないことは、自信の無さだ。それが今回のことで改めて再認識させられた。不利な立場に立たされた時に、つい私は自分に非があると思い込んでしまって自責の念に駆られてしまう。自信の無さゆえなのだ。

本当なら、堂々としていれば良いのに。

「えっ、お店のものなんですか?だったらこんなとこに置いておいたらダメじゃないですか。間違えますよ。看板だってあるんだし」


そんなふうに開き直って自分の正しさを主張できたら、一体どんなに気が楽なことか。

ただ、本当に自分がそういう人間になりたいかと言われればそれもちょっと疑問だ。何となくだが、なんか、感じが良くない。もし自分がお店で働くスタッフだったら、そんな居直ったお客の相手をするのは嫌な気分になる。そんなふうに思ってしまう。

だから結局は、私は小心者のままで、そのことを何処かで許容していて、そのためになかなか自信が持てるようにはなれないような気もする。

軽傷と呼んでいるように、恥ずかしさは一瞬だけで、別に心が抉られるほどの傷なんて無いのである。その傷をオーバーに痛がってやしないだろうか。

何が言いたいか、とっ散らかってしまって恐縮だが、何にせよそういう「軽傷」を必要以上に痛がらず、もうちょっとだけ耐性をつけられるようにしていけたら、生きやすいんだろうなと思った。修行が必要だなあ。つづく。


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