飼い慣らされている話。
スマホにさまざまな求人情報が届く。
求人情報というか転職のオファーとかスカウトのメールだ。一応まがりなりにもITエンジニア的な仕事をしているので、転職サイトにはそういう職歴を登録している。すると、私など大したスキルは無いはずだが、次々と「こんな仕事ありますが転職しませんか?」メールが来る。どれも聞いたこともない会社だけど。
実は、このメールたちはもう何年も前からずっと届き続けていたけれど、最近、今の仕事に満足していないのでちょっと何通か意識的に目を通したりもしている。
見ると、どの求人も想定年収が高い。えっ、そんなに貰えるの?と。私の今の勤め先で貰っている収入の1.2倍くらいはある。正直、心は揺れる。
だが、それに踏み切る勇気が無いのか、いや、そもそも本気で会社を移ろうという気持ちは湧かない。
どうしてだろう。
先日、冬のボーナスが入った。人事評定の面談があり、上司からは「いつも頑張ってくれています。とても良い評価です。これからも期待しています」みたいなことを言われた。マイナスなことは言われなかった。
だが、支給されたボーナスの額は例年とほとんど変わらない。一般的に見ても決して高額だというわけではない。貰えないよりマシとは思うが、「頑張っている」とか「とても良い評価」とされるような額とは思えない。それに今年は昇給も無かった。
私が奢りすぎなのだろうか。自分の能力を高く見積りすぎか?「貰えるだけマシ」と書いたが、よくよく考えるとそれは会社の事情だよなとも思う。
たとえまったく同じ能力を持っている人がそれぞれ別々の会社に勤めていたとしても、貰える給料やボーナスは異なっていて当たり前だ。なぜなら、会社がどれだけ儲かっているか、そしてその会社が従業員に賃金としてどれだけ還元するか、それは会社によって違うためだ。
もっとも、会社とは個人の集まりであって。何か客観的な基準や機械的な制度によって、個人の働きが正当に(?)評価されることはほぼ無い。上に立つ偉い人たちの好き嫌いによって、評価の大小の傾斜がつけられて、それによって支払うお金は変わってくるというわけだ。
だから、結局私に対して表面上はどんな評価をしたところで、会社の売上や利益を考慮した上で、会社が恣意的に「コイツにあげるボーナスはこんなもんだろう」と決定するわけだ。
口では「良い評価だ」とか何とか言っておいても、実際には私に対してはそれほどの評価しか下されなかったということだ。金額がはっきりと示してくれている。
それでも、やっぱり「貰えるだけマシだ、ありがたい」と思い込んで、目先のお金が貰えたことで、またこの先も頑張って働こうと思い直してしまう。
そんな時、自分は会社に「飼い慣らされている」と感じるのだ。
「まだ頑張ってみよう。この仕事はやりきろう。今度の休みを楽しみにして今を乗り切ろう」
なんだか、そんなことを考えているうちにあっという間に年寄りになって定年を迎えて会社を放り出されてしまうような気もする。そんな時に、人生を振り返って私はどう思うのだろう。ちょっと背筋が寒くなった。
散々に従順するように飼い慣らされた家畜はいつか「要らない」と言われて首輪を外されてしまう。そんな時に、主を失った家畜はどうすればいいのだろう。
スマホの画面に表示された求人情報メールに目を落とす。そこにある穴を探して、「ここじゃないんだよなぁ、今の方がマシだなぁ」そう思い、目の前にある自分がやるべき仕事を思い浮かべる。
「まあ、ここでもう少しやるしかないかな」そんなふうにしてまた、社畜は働き続ける。飼い慣らされている、もとい飼い殺されている現実に目を背けながら。つづく。