都会での生活の話。
終の住処ってどういう場所なのだろう。
そこで私はどうやって命の灯火を消すのだろう。
そのようなことを考える。
私が生まれた古い一軒家は田舎にあった。そこで祖父母と父母と住み、その町のコミュニティで暮らしてそして死んでいくのが当たり前だと思っていた。
祖父は農家だったが、父はサラリーマンだった。父の弟、つまり私にとっての叔父は大学を卒業後に早々に家を出て行ったが、父はずっとその生家に住んでいた。父は長男だからなのか、「家(を含めた土地)を守る」ということをしているのだと私は想像していた。彼は地元の大学を出て、県内の企業に勤め、その実家から通っていた。
私も長男であったが、親との折り合いも悪く田舎が嫌だったこともあって、大学進学を機に家を出た。だが、実家を離れてからも、なんとなく、あの実家はいずれ長男である自分が継ぐ必要があるのではないかとうっすら考えていた。継ぎたいとかそういう気持ちより、そういうものなのかもしれないと。
その思いが崩れたのは、私が大学3年に上がった頃だった。父が死んだ。
たとえ農家は継がなくとも、土地とかそういったものは父がいずれ全て引き継いで生きていく(死んでいく)ものだと、それを当たり前のように祖父母は考えていた。いや、私もそう思っていたし、父自身もそう考えていたと思う。
しかし、病魔はあの古い家から突然父を奪っていった。本来とは異なる順番で。さらに、その後に残った我々も離散させた。
母は、父の思い出の詰まった屋敷で暮らし続けることを拒んだ。それに、祖母が父の生前と同様に母をこき使うことにも納得がいかなかったようだ。まるで実の娘、いや、それよりも粗雑な扱いをしていた。呼び捨ては当たり前、身の回りの世話も悪びれずに頼むそのような態度に我慢がならなかったらしい。弟も、母についていく形で家を出た。
私にも、親の居ない家に住むという選択肢は無かった。何より、私も、母に対する祖父母の態度に不満を抱いていたからだ。また、早くに大切な息子を亡くした祖母にとっては仕方ないのかもしれないのだろうが、口を開けば常に小言と泣き言を発するその姿には閉口していた。意見の対立もあった。
そこにもはや安らぎは無かった。大学進学後も実家には戻らず、社会人になってからも一人暮らしを続けた。
もともと田舎が苦手だったこともあったからか、都会での暮らしは快適そのものだった。マンションに住み、いつでもゴミが出せる。家まで歩いて行けるし、近くにはたくさんお店がある。実家ではクルマが必須だったし、駅など徒歩で行ける距離ではなかった。日が暮れれば、辺りは真っ暗で何も見えない。全く違う生活だった。
そのうち、結婚して家族が増えた。あれだけ嫌だった田舎だったが、似たような場所に居を構えることになった。というのは、子供にのびのびと過ごしてほしくて、予算の範囲内で検討した結果、都会のマンションよりある程度地方の一軒家を選んだためだ。
とはいえ、通勤を考えるとせめて駅まで近いこと、飲食店やスーパーマーケットなどは徒歩圏内で辿り着けることを条件に探した。幸運にもぴったりの場所を見つけることができた。勤め先は都内のままなので毎日通勤は大変だが、トレードオフは受け入れ、満足している。
ところで、妻の実家に行くと、いつも自分の生まれた家や生活のことを考える。
妻は東京で生まれ育ち、お父さんお母さんも健在だ。孫の顔を見せてあげたくて、一年のうちに何度も妻の実家に足を運ぶ。東京のマンションだ。
ここで暮らすということが、なんとも私には想像できない。それは羨ましさもある。
かつて私も一時期同じような暮らしをしていたから分かる。どこへ行くにも便利で、集合住宅に住まう人々はそれぞれの城がある。町はたくさんの人が居るのに、防音のしっかりしたマンションは静かだ。
だが、そこで生まれ、育ち、生活して、そしていつか亡くなっていく。都会の生活でのそのようなイベントが想像できないのだ。
そのような生活は羨ましいが、なんの因果か、先にも書いたように私は地方の一軒家暮らしを選んでしまった。私は、私の生まれ育った環境を離れて想像ができないのかもしれない。
父は、あの田舎で、あの古い屋敷で生まれ育った。そして、老いてではなく一般的には短く生涯を終えた。私は、図らずも最も近い同性の血縁者を失い、それまで「当たり前」と考えていた人の一生のあり方が突然分からなくなった。それは、私にとって、まるで敷かれたレールが途中で無くなってしまったかのように。
それでも、今の私は一応家族を持つことができて何とか彼らを養うために、こうして生きている。
本音を言えば、こうして生活を運営している今も、自分自身の最期は想像できない。人が一生を全うするという時、どのように人生の幕を下ろすのか、それが分からないのだ。当然なことではあるが、俗っぽい言い方をすれば「参考」にできる情報が無くて、不安なのだ。だから、こういう今の生活が果たして正しい方向に向かっているのか、本当は自分はどうあるべきか、時々分からなくなって怖くなる。
けれど、妻の実家にお邪魔させてもらい、そこで思うことは、「こういう生活もあったんだな」ということだ。その思いは、戸惑っていた私を少し安心させてくれる。
こうして都会に住んで、暮らし続け、そして最期を迎えるような、そんな生活。生活という大きな枠組みの中には、その終わりがある。つまり、死、だ。人が生きるということは、必ず最期がある。どうしても私はそれを考えてしまう。
いつ、終わりが訪れるか分からない。だからこそ「悔いの無いように生きよう」と月並みなことしか私は言えないのだが、それは真理なのだと思う。人生の数だけ、そこには生活がある。私は私の生活を、私のやり方で、これからも追い求めそして形作り続けるしかない。つづく。