睡魔に支配される話。
朝、ほぼ満員電車で通勤している。
「ほぼ」と書いたのは、時間帯やタイミングによっては満員でないことがあるためだ。
たとえば、私は埼玉の田舎に住んでいて都内の会社まで働きに出ているのだけれど、自宅最寄駅から乗る電車は、満員でない時がある。運が良ければ、1〜2席くらいは空きがあるのだ。
その日、たまたまその「運の良い」日だった。
普段の通勤中、私はいつも電車の席には座らずに立ったままで本を読んで過ごしているのだけれど、その日はひどく疲れていた。
前夜、小学生の娘と一緒のベッドに寝ていてたのだが、彼女のすさまじく豪快な寝相のおかげで、私の眠るスペースが極端に小さくなっており十分な睡眠時間がとれなかったことが原因と思われる。
なので、その空席を見つけるなり、自然とそこに身体が吸い込まれた。私は他人と距離が近いのがとても苦手なのだけれど、その時ばかりは気にならなかった。とにかく座れるだけでありがたい。それほど疲れていたのだ。
そして、一応いつものクセでカバンから本を取り出して、座ってそれを読み出した。
が、1ページ2ページほど読んだところで意識が飛んだ。気が付いたら、降車しなければならない駅に到着していた。あっという間だった。
早朝にもかかわらずこれほどまでに座席が満員なのは、もしかしたらみんなこの通勤時間で睡眠時間を補っているのでは?と思ってしまうほど、一瞬で深い眠りについてしまった。
ただ、快適な眠りだった気持ち良さとは裏腹に、何だか自分がいかに睡魔に支配されているか目の当たりにしたような気がして、ちょっとやるせなさも感じてしまう。
いつもは立ちっぱなしで通勤電車に乗っていて本を読み続けることができているのに、電車の席に座った途端、すぐに眠気に襲われてそのまま到着駅までノックアウトされてしまったのだから。
思い返せば昔からそうだった。子供の頃からクルマの類に乗せられるとすぐに寝てしまっていた。自家用車、バス、特急列車や新幹線。クルマ的なものなら目を瞑ればすぐに寝る。さすがに自分で家の車を運転している時は寝ないけど。
そうなると、通勤電車であっても、それがほぼ満員状態であったとしても、恐らく座ったが最後、眠りに落ちてしまうような気がする。
それはそれで睡眠時間を確保できて身体の疲れが取れるという点では良いかもしれないが、乗り過ごすリスクもあるし、持ち物を盗まれるリスクも上がる。それに、せっかく一人でゆっくり本を読んだり勉強できる時間は大切にしたい。
だから結論としてはやはり通勤電車では私は座らずに立ったままで居ようと思った。なんなんこの話。つづく。