イヤホンと便利さの話。

有線イヤホンを使っている。

今の季節はコートなどで厚着しているので、イヤホンのコードが衣服によく引っかかる。その拍子でポンッと耳からイヤーピースが外れることもあって、そのたびに「キイィ・・」ってなる。

なるけど、別に、だからと言って有線イヤホンから変更するつもりは無い。というのも、無線のイヤホンにしたくない気持ちがまだ自分の中で勝っているからだ。

これを不便とは思わない。全然不便なんかじゃない。ちょっとそういう仕様になっているだけだと。それに合わせるのは人間のほうなのだと。そう自分に言い聞かせて、有線イヤホンを使い続ける。

もっとも、以前は私も無線イヤホンを使っていた。骨伝導のとかも試した。持ち運びやすい小さなタイプも使った。たしかに便利だった。通勤中にカバンを後ろ前にヒョイッてやるときにコードが引っかかるなんてこともない。素晴らしかった。

だが、しばらくして私は使うのをやめた。

なぜなら、まず、Bluetoothの無線技術を使っていると思うが、これがブツブツと途切れるのだ。たとえば通勤中の満員電車内など、人が多いところでよく通信が切れる。いきなり切れるのではなく、徐々に聴こえが悪くなる。それまで聴いていた音楽がブツブツと途切れ途切れになって、最終的には「disconnected.」みたいな捨て台詞を残してイヤホンから音沙汰が無くなる。だから、音楽を聴く際には、人がたくさん居る場所を避けたりしていた。

それから、充電がうまくされていないこともあった。無線イヤホンだから、あらかじめ充電していないといけないのに、出発してから気付くのだ。あっ、バッテリー少なくなってんじゃんと。それに、イヤホン本体の不具合か劣化かで充電が無くなるスピードが異様に速くなることもあった。そうなると、バッテリーに気を遣いながら音楽を聴かねばならないことになる。

言わば、無線であるがゆえの問題に意識が向いてしまって、肝心の音楽に集中することがしにくくなっていた。それは非常にストレスだった。

もしかしたらこれらの問題は、私が安い無線イヤホンを使っていたためかもしれない。しかし、言ってはなんだが、私にとってイヤホンは消耗品だ。いくら大切に扱っていたとしても、日常的に使い倒すから、無くしたりすぐに壊れてしまうものと考えている。そのような代物にたとえば数万円というようなお金はかけられない。

そういうことがあって、私は有線イヤホンに鞍替えした。以前のオールドスタイルに「便利さ」を見出してしまった。

有線イヤホンなら、バッテリーが切れることはない。人で混雑している場所でも通信が途切れるということはない。なんて便利なのだと。無線イヤホンを使っているときに比べて、ストレスを感じることが少なくなって快適になったのだ。

これは一見おかしな見方かもしれない。便利であるはずの最新技術を遠ざけて、古い技術の方に便利さを感じているのだから。

だが、便利さの基準は当然人それぞれであって、私一人が時代遅れという可能性もあるが、もしかしたら私以外にもそう考えている人が居る可能性もある。

そうなると、古い昔の技術が再評価されるか、あるいは、さらに新しい技術が台頭して現在発生している問題が解決されていくか、どちらかの方向を辿る。そのような気がしている。

古い技術の再評価の話は興味深い。たとえば、かつてあった『写ルンです』や『チェキ』などが今の時代に再評価されているという話を聞くと、何もカメラというものは「すぐに綺麗に撮影できて嵩張らないこと」だけが求められているわけではないのだなと思う。つまり、わざわざ写真という物体に現像したりする手間とか、ちょっとピンぼけした風景だとか、そういう「不便さ」に味を感じて、敢えてそういうものを選ぶケースもあるのだなと。

ここまで熱く有線イヤホンの話を語る私はどうかしているかもしれないが、毎日当たり前に音楽を聴いていてそのようなことを思った。

しかしまぁ、今後どうなっていくかは分からない。そりゃあ、全然通信途切れなくてバッテリーが潤沢にもつタイプでリーズナブルに手に入るものがあるなら欲しい。やっぱりコードが引っかかる問題は正直ストレスに感じることもあるし。

だから今の現実的な解としては、イヤホンのコードを服の内側から通してみるとかなのかもしれないな。やったことないけどやってみたい。でも今の季節寒いからコードが体に触れてヒヤッとするか。それは嫌だな。やっぱりやらない。じゃあ今のままコード衣服引っかかる問題と付き合っていくしかないか。何なんこの話。つづく。

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