見られている意識の話。
プライベートとパブリックな空間の境界に関心がある。
先日、通勤中の電車内でこんな風景を目にした。その人はサラリーマン風の40〜50代ほどの男性。上品なスーツをかっちり身に纏い、片手は車内の吊り革、もう片方の手には大きなパソコン。
えっ、パソコン?
時折吊り革から手を離して片手でキーボードを打って何やらメールを送ろうとしていた。見るつもりはなかったけれども、結構混み合った車内で距離も近かったものだから見えてしまう。
何やら部署なのかプロジェクトなのかのメンバー宛にメールを送ろうとしている様子。電車が揺れるたびに片手で持ったパソコンを落としそうになりながら、それでも頑張ってキーボードを打つ。
その男性がどのような人か知らないし、普段からそういうことをしているのか分からない。その日はどうしても今すぐにでも連絡しなければならないことがあったのかもしれない。
ただ、なんだろう、あまりお節介なことを言うようで悪いけど、どこで誰が見ているか分からないんだし、こんなパブリックな空間で仕事のメールを打たない方が良いんじゃないかと…
カフェでパソコン開いてカタカタ仕事してたりする人も多いけど、それもなんだか心配。後ろから競合他社とかお客さんが見てたらどうするんだろうとか。もし社内情報にアクセスするためのアカウントを見られたりして、外部から不正アクセスされたら大変なことになりやしないかと。そういうことを考えてしまう。
私が電車内で見かけた場面は明らかにデカめのパソコンだったので違和感を強く抱いたけれど、本来はスマホも同じだなと改めて思った。というか、スマホのほうがよりプライベートな話をしていると思うので、そういう意味だと見られたくない情報が表示されている可能性が高いわけで。
スマホやパソコンに夢中になるあまり、つまりプライベートな空間に没入するあまり、自分がその時どのような場所に居るかどうか気にしていないんじゃないのかなと。公共の場で、企業秘密、社外非情報、交友関係、個人情報、そういったものを公開していることにならないのかと不安になる。大きなお世話かもしれないけど。
見られている意識。パブリックな空間にいることを忘れると、そういうのが欠如してしまうこともあるのかもしれない。
たとえば私は今、お昼休憩中に屋外のベンチでこの文章を書いているわけだけれど、もしかしたら、この隣の隣のベンチに、あるいは向かいのビルのオフィスフロアの窓から、はたまた、目の前を通り過ぎる人たちの中に、この文章が見られてしまっては困るような人が紛れていたりするのかも。ああ、怖い。気を付けよう。つづく。