休みの権利の話。

今日11/14は何の日か。そう、埼玉県民の日だ。

我が家の子供たちは埼玉県民の日によって学校が休みになる。私は埼玉県民ではあるが東京の会社に勤めているので本来は休みにはならない。

しかしまだ低学年ということもあって子供たちだけで家に留守番させるのも心配だ。というわけで今日、私は休みを取った。有給休暇というやつだ。妻も都内の会社で働いているので、思い切って家族で休んでどこかに出かけるということになった。

実はこの休みの計画は前々から決めており、そのために仕事を調整していた。この時期は担当している案件も山場にならないようにしてきたし、積み残したままの作業がないようにしてきた。ギリギリの連絡にならないように、部内のグループ会議でもできるだけ前もって何度かリマインドして休みますよ連絡をしてきた。

だから、無事に今日を迎えることができたので、これで埼玉県民として堂々と休みを満喫できるというものだ。

しかし、ふと頭をよぎるのは、どうしてこうまで休むことに関して気を遣わなければならないのだろうという疑問だ。

一つには、勤め先は東京の会社ということだ。

もちろん埼玉県民も多く居るだろうが、話を聞いていると同僚のほとんど全員は東京都民だ。当然である。東京に住んで、東京で働く。それが一番効率的だ。私も東京都民の時期があった。だが、家族を持ち子供が居る今の生活では、少なくとも私にとっては東京ではなく埼玉の方が暮らしやすさを感じている。まあその話はいいとして。

とにかく、東京都民の人たちからすれば「埼玉県民の日?は?何それ」ということだ。逆に都民の日も存在するが、なぜか職場の人たちは休みにしているのをほとんど見かけない。一体みんなどうやって生活を運営しているのだろう。

したがって私が休む理由として「埼玉県民の日だから」ということ主張することで、それが当たり前の理由には感じにくい同僚たちが居るということ。その事実に対して、私は後ろめたさを感じているのだろうと思う。

それからもう一つ。仮に都民だらけの会社で働いていたとしても、そして埼玉県民の日ではなくても、あらかじめお休みを貰った時にも、やはり何かしらの「すいません…」みたいな気持ちを抱いてしまう。

その理由は、「休み」=「病気などで仕方なく休む」みたいなイメージがあるからだと思うのだ。だから、何か自分は健康なのに休むことに対してこれまた引け目を感じてしまうのだ。

そんなのはおかしいと頭で分かっている。でも日本人的集団主義にまみれて汚れきっちまった私にとっては、休む時には、やはり職場の人たちに申し訳無さを振りまいてしまう。

じゃあこれが病気だったらどうだろう。「大変でしたね」「身体の具合はどうですか」そんな心配をかけてもらう立場になる。しかし難しいのは、自分の管理不足で体調を崩した時には、逆に「自分の不注意ですみません…」と謝らなければならないことだ。いかに「自分に過失が無いか」がポイントになる。

そういった意味では、埼玉県民の日を理由に休むのは休みにくい。

だが、それがどうした。労働者の権利として、私は休む。労働基準法39条に記載もあるんだから。もちろん、チームで仕事をしている以上、周りに必要以上の迷惑をかけない前提で。

そのうえで病欠だろうがリフレッシュだろうが目的も無くても休んだっていいじゃん。そういう思いを抱きながらそれでも職場に気を遣いつつ、その狭間でもがきながら生きていく。何とも世知辛し。まあいいか。つづく。

いいなと思ったら応援しよう!