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魔法のことば「そうなってから考えよう」の話。

世の中にはこのような言葉があります。

杞憂(きゆう)

心配する必要のないことをあれこれ心配すること。取り越し苦労。

「杞憂(きゆう)」 - goo辞書より


私が心配性すぎるのか、リスクばかりを考えて、予期して、それで気を揉んでしまうことが多くあります。というか、どのような場面でも心配してしまうのです。

結局は、上記のように「杞憂」で終わることが多々あるのですが、厄介なのは、「杞憂だった」という事実すら認識せずに先の心配を忘却の彼方へ葬り去ってしまうことです。そういう心配はすっかり忘れて、「想定しておいて良かった」というリスク対策が実際に結実した事実だけを憶えているのです。だからタチが悪い。

そんな後者の確率など、0.1%にも満たないほどに低いもののはずなのに。

たとえて言うなら、一度だけ雨に降られて風邪をひいてしまった経験から、カンカン照りの日にまで、折りたたみ傘を持ち歩き、レインコートをまとい、長靴を履いて出かけるようなものです。不便極まりない一日を過ごしたくせにそのことは気にも留めずに、それでその日の終わりに「ああ、雨に降られなくてよかった」という思いを抱くというような。

0.1%の心配にまでカンペキに対処する人生が良ければそれでいいのですが、正直言って、私は疲れました。そういう心配に。

そんな、私ような(他にそのような人が居るのか分かりませんけど)心配性で気にしいな人間に、魔法のことばをプレゼントします。

それは、「そうなってから考えよう」です。

当たり前じゃんと思える方は、幸せな人生を送っているのだと私は思います。私には、どうしてもこうは思えなかった。と言いますか、こういう発想に至ることができなかった。40年近い人生を送ってきていても、ただの一度も。

でも、この言葉がフッと自分の心に降りてきて、「あっ、たしかに」と思えました。

まだ起きていない未来に対して、悪い妄想ばかりするくらいなら、そんなことは考えない。どうせ起きない。そういう心配事が現実になってから、初めてその対処をすればいいじゃん。そういうふうに思えました。

ただ、今の私はまだ頭でそれを意識している部分があります。これを、身体の細胞から、本能から、頭で考えなくても反応してしまうくらい、馴染ませないとあまり意味が無いです。

もっとも、だからと言って「先のことを考える」ことを全否定したり、放棄したりしているわけではないです。リスク回避をしたり、危険予測をして現実のダメージを減らすのは大切なことです。

あくまで「考えすぎる」ことをやめる。それだけです。

今年の新年の抱負にも「やらない」ということを挙げました。

https://note.com/furokun/n/nc5dce9af32bc


これに通ずるところがある魔法のことばだと思っています。

多分、私は考えすぎる。というか心配しすぎる。
一言であらわせば、取り越し苦労ですよね。

だから、「そんな心配はきっと起こらないよ」と言ってあげるだけでは、きっと自分自身を信じてあげられないほどに疑心暗鬼で、だからせめて「起きてからどうするかを考えよう」というふうに、ちょっぴり考え方をシフトさせてあげたいのです。

先に行動しちゃおう。そして、特に行動する必要が無いことなら、もう考えなくていい。でも油断をすると、心のスキマに心配の悪魔がやって来てしまいます。だからそういうときは「分かった、分かった。そういう心配があるのは分かったけど、もうそれは実際に起きてしまってから対処しようよ」と言って説得してあげる。それで、追い返すでもなく、そこに居場所を作ってあげたままにする。

言葉にするのはカンタンです。でも、上にも書いたけれど、自分の人生をもう少し幸せにするためにこれを体に心に覚えさせていきたいです。おわり。

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