底なし沼の写真データの話。
先日、植物園に行った時のこと。
バラ(の傍でポーズをとる子供たち)の写真を撮ろうとして、スマホを取り出してカメラアプリを起動。いざ撮影しようとしたところ、
「ストレージがいっぱいです(だから撮影できないよ、残念でした)」
というメッセージが表示された。
ああ、そうか。日頃から、休みの日にどこかへ行けば子供たちの写真を撮りまくっていたせいか、私のiPhoneの容量はすでにパンパンになっているようだった。
iPhoneの設定アプリを確認すると、
・iOS → 約11GB
・システムデータ → 約9GB
とのこと。
待て待て。全部で128GBの容量があるのにそのうちの約20GBを占めているってどいうことだ。しかも、iOSを新しいバージョンにすれば少しは容量が空くかと思ってアップグレードしようとしたら、「7GB以上ないとアップグレードできません」と来たもんだ。たしか残り1GBくらいだったのでそれも出来ないとのこと。(ちょっとほんとにその容量がだったかは自信無い)
これはもう写真データを移してiPhoneの容量を空けるしかないかな、と。
そういうわけで、その日の夜にPCにiPhoneを繋いで、写真データへPCインポート&iPhoneから削除。残り1GB弱くらいしか無かったところ、何とか20GBくらいは空けることができた。
ところで、我が家は(というかその作業をするのは私しか居ないのだけど)、たとえばiPhoneなどで撮影した写真や動画のデータはPCに移して、そのうえで、PCが故障した時に備えて幾つかの外付けのストレージ(HDD2台、SSD1台)にも同じデータをコピーしている。要するにバックアップ作業だ。
だが、SSDというストレージは処理速度が速くてコピーもあっという間に終わるものの、HDDのほうはもう遅くて遅くて仕方ない。夜中にそのバックアップ作業を開始してしまったのだけれど眠くて仕方ないので、一括してファイルコピーを開始してその日は寝てしまった。翌朝起きると、コピーは失敗していた。なんなん、もう。
そもそも、私がこんなふうに幾つかの媒体で写真や動画データのバックアップ作業をやるにいたったのは、以前HDDにiPhoneのバックアップデータを保存している途中にディスクが故障して読み出せなくなったためだ。何とか救い出そうにも、全く機器が反応しなくなってしまった。
その時は、子供が生まれてからの写真もあったということもあって手放すことはしたくなかったため、泣く泣くデータ救済の業者に依頼をした。結果、その費用は十万円前後かかったことからそれを教訓に、バックアップ時は必ず複数の場所にコピーを取るようになった。
だが、今回HDDにコピーに失敗した際、恐らくディスク内部がイカれてしまったらしく、読み出しできなくなってしまった。残るは、SSDと別のHDDのそれぞれ一台ずつになってしまった。
さて、前置きが長くなってきたが、今回のことで言いたいことは2つある。
まず一つ目は、さすがに外付けストレージは不安ということだ。
HDDのほうがSSDよりも壊れにくいと聞いたことがあるが、経験上それは正しくないケースが多かった。むしろHDDのほうがちょっとしたことで動かなくなる印象がある。
かといって、SSDにすればいいかというとそう手放しに採用もできない。というのはまず価格が高い。そして、結局はこれも読み書きの回数が増えることで劣化して故障率が上がるという情報もあったように思う。なので、いつ突然これも動かなくなるか分からない。
そうなると、外付けストレージではなく、もうNASとかそういったネットワーク経由のストレージにして、より耐久性を求めるしかないかなと考えている。
仕事ではあまり使ったことがないので勉強も兼ねて良いかもしれない。ただ、これもたしか5〜10年くらいしか持たないという話なので、半永久的にデータをそのまま保存できるわけではないと覚悟はしている。
そしてもう一つ。それは、私が撮影している写真や動画データがあまりに多すぎるのかもしれないということだ。
たとえば、遊園地や博物館、植物園などに行けば、そのほとんどの被写体は我が子だ。子供たちの表情やポーズが少しでも異なれば、パシャパシャと無尽蔵にカメラで撮ってしまう。その結果、後で見返すと、同じような構図でちょっと仕草や表情の違う子供達の写真がそれこそ10枚くらい保存されていたりする。
これはこれで、楽しいし、大事なものだ。子供の今の瞬間を残しておきたいと思うし、年々(いや、一瞬一瞬)成長している彼らの様子は、もう写真が何枚、動画何本あっても良い。
しかし、やはり、物には限度がある。今よりももっと良い性能のスマホに買い替えて写真データを山ほど保存できるようになっても、恐らくその容量いっぱい使い切ってしまうと思うのだ。(それこそまさにパーキンソンの法則というものだ)
もちろん、どうしても必要なものを保存した結果、使い切るのはいいと思う。ケチケチするよりいい。だが、問題は、同じような写真がいくつもあってそれによって必要以上に容量を食ってしまっていることだ。
したがって、断捨離ではないが、本当に必要なもの、そうでないもの、の仕分けをしながらiPhoneにデータを保存していかなければいけないかなと思っている。
だって、「そんなに、写真って見返すもの…?」と自問してみたのだ。
もっとも、家族間で共有している写真アルバムアプリとかはよく見返す。「みてね」というアプリとか。とても見やすいので。でも、標準搭載の写真アプリ(カメラロール)をまじまじと何枚も何枚も見返すかというと、そんなことはほぼほぼ無いと気付いたのだ。
なので、ここは心を鬼にして、写真をバシャバシャと撮りたくなったらグッと我慢して「よし、今から奇跡の一枚を大事に撮影するぞ。チャンスは二度と無いと思え」と自分に言い聞かせつつ、千載一遇のシャッターチャンスをものにするような気持ちで臨むようにしたい。
適当に数打ちゃ当たると思って撮った写真と、一瞬を逃すまいとたった一枚に命を削る思いで写した写真。
果たしてどちらの写真の方が出来が良いのだろう。私の撮影スキルなんてたかが知れているので多分変わらないのだろうけれど。しかし、その時の気持ちが入っているか否かは、後で見返した時に何か違うような気がするんじゃないかと少し期待している。
まあ、ここまで書いてきたわけだけれど、これだけ容量の多いストレージにたくさん保存して、そして容量節約のためにも厳選して撮影したとして、そのデータもまた、いつ見返すのかな?という思いもしないでもない。
そうなると、昔ながらの方法で、写真を現像して物理的にアルバムにしておいた方が良いのかもしれないな…とも思う。データも永遠ではないし。何かの拍子にファイルとしての情報は消えることもあるし、読み出す機械が無いとそれこそそのデータ自体も意味無いし。
というわけで、まだまだ子供の成長記録として写真に収めたいと思いつつ、その保存方法や目的についても考えないとなと思っている。そんな底なし沼の話。つづく。