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もう少しマシな未来?の話。

なんだか弱気な心になっています、今。

それは大抵、やらなきゃいけないことに追われて気が急いていたり精神的に余裕が無かったりする時だったり、仕事などで不安を感じて憂鬱な気分だったり上手くいかなくて落ち込んでいるような時だったり。

そういう時には、考えてもどうしようもないような、弱気な心がムクムクと顔を出してくるのです。

ああ、あの時、ああしていれば良かったのかな。


過ぎたことをクヨクヨ言っても仕方ないと分かっていながらも、もしかしたら掴めていたかもしれないと空想した未来と、今のこのどんよりしたネガティブな気持ちに塗れた現実を比べてしまうのです。

もし仮に、あの新卒で入社した会社を辞めず、どんなに辛いプロジェクトだったとしても精神的に参らずに続けていたなら。

今頃、同世代と比べて低い賃金で惨めな思いをすることもなく、もしかしたら出世して大きな仕事をして待遇も良くて裕福な暮らしをしていたかもしれない。

もし仮に、大学に入った目的を見失わず四年間その道を勉強し続けていたら。

今頃、誰も知らない何をやっているのか分からないような中途半端なITエンジニアなんかではなく、もしかしたら資格とともに社会的なステータスを得て誰に対しても胸を張れるプロフェッショナルになっていたかもしれない。

もし仮に、大学受験や高校受験で妥協せずに何がなんでも第一志望のランクを下げることなどしなかったのなら。

今頃、学歴コンプレックスだとかを感じることもなく、堂々と出身校を名乗ったりその環境で学生生活を謳歌して、性根まっすぐな生き方ができたのかもしれない。

もし仮に、単純にやらされている感じがイヤだからと言って幼少期から10年近く続けていた習い事を辞めたりしなければ。

今頃、自分があまりにつまらなくて退屈な人間などとは思うことなどなく、趣味や特技を持ち豊かな人生を楽しんで過ごすことができていたのかもしれない。

どれも、きっと今よりマシな未来。

そういう「そうだったかもしれない」未来を想像して、若干の後悔っぽい感情を抱くわけです。

ただ、すぐにその保証は無いことにも気付きます。

「もし仮にあの時〜」と考えたところで、実際そうしていたら想像した通りになっているとも限りません。

そういう弱気な時には、今の良いところや、それが過去の時点で選択した事実があったことが頭からすっぽり抜けています。

ですから、今度は逆のベクトルから考えてみます。かつて選択したアクションによって、今にどう繋がっているか、ということ。

あの時、精神的に参ったことがきっかけではあったけれど新卒で入った会社を辞めたから。

そのおかげで今、当時とは異なるアプローチでシステム開発の仕事に向き合うことができて、そこまでストレス無く日々の仕事ができる環境に出会えた。

恐らくあの会社に居続けたら、待遇は良くても、心身ともに疲弊してすり減っていたような日々を送っていただろう。

あの時、大学の専攻していた道を外れて、就職活動でITの世界に興味を持って様々なセミナーに顔を出したから。

そのおかげで今、多少なりとも仕事上で自分が楽しいと思えるような作業を見つけることができた。

きっと大学時代に幾ら勉強していたとしても、当時の自分が望むような職に就けたのかは分からない。

あの時、志望校とは違うところに入学を決めたから。

そのおかげで、関西での大学生活を経験することもできたし、ガチガチの進学校ではかったからこそ悠々自適な高校生活を送ることができた。

もし全て自分が望む通りの第一志望の学校に行けていたら、私の性格上、思い上がってプライドはますます高くなっていただろうし、きっと何処かでそれが折られて再起不能になっていたかもしれない。

あの時、イヤだという理由で習い事を辞めたから。

そのおかげで、他にやりたいことを見つける自由ができて、それに縛られる人生にならなくて済んだ。

何より、嫌々ながら続けて結果が出ることはまず無いので、無駄な時間を費やす機会が減って良いことだっただろう。


物事の良い面に目を向ける、と言うと聞こえは良いですが、結局は「酸っぱいブドウ」であり「甘いレモン」だと思うわけです。

叶わなかった未来を諦める口実にして、今この現実を受け入れていく作業です。

どちらも不毛であり空虚なことには変わりないですが、ダメージを負った心を少し休ませて、また自分を歩き出させるエネルギーをちょっと充電する。

そういう現実逃避の面を持つ気分転換の作業なわけです。

今より少しマシな未来があったかもしれない。
でも裏を返せば、今がそのマシな未来かもしれない。

まあ過去は変えようもないし、今と比べてマシだったかなど比べようもないわけで。ひとまず今できることは、今どう行動するかしかないわけです。

それならば、頑張りすぎず、休みながらでも、とにかく歩みを進めていくほかないかなと、個人的には思うのです。

死ぬ間際にでも少しでもマシな生き方ができたと思えるように、まずは今と向き合うしかないですね。おわり。

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