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四半世紀ぶりに遊びにいったディズニーランドの報告

なかなかいないと思うんですよ、四半世紀ぶりのひと。… なので報告します。

結論からいうと、すごくよかったです。なにがよかったか、整理してお伝えします。それにしても四半世紀! じぶんでもびっくりだ。本文を読み直してみると、まるで過去からタイムスリップした人が書いたような内容で味わい深いです。興味のある方はのぞいてみてください。もしくは「じぶんも四半世紀行ってないわ~」という方がいたら参考になると思います(たぶん)。それでは、はじまり~

さて、読んで字のごとく、25年以上ぶりに東京ディズニーリゾートに出かけました。さいごに行ったのは、なんと中学生のとき。子どものころ。まだスマホの影もカタチもない時代。ワオ、信じられない。

今回のメンバーは家族です。母と妹と私。まるで小学生のときみたい。ノスタルジー。ひょんなことからお金が舞い込んで旅行に行けることになり、ひさしぶりに家族でディズニーでも行くかぁとなりました。ちなみに母は高齢で長時間の歩行が困難なので車イスが基本。あのころは私が手を引かれていたけど、いまは私が手を引く番。正確には車イスだから手を引くではなく押すだけど(どっちでもいい)。

以下、印象に残ったことをバラバラと報告します。

スマホ命
ディズニーリゾートによく行く友人から事前にアドバイスがあり助かった。いわく「スマホがなければ難民になる」。そのとおりでした。昔は紙のリーフレットがあって、それを眺めてアトラクションを回ったけど、そんな文明は滅んでました。はじめにスマホありき。アトラクションの予約も、レストランの予約も、パレードの見物席予約も、何もかもスマホのアプリで手配しなければダメ。思い返せば「あの頃は何もなくてそれだけで楽しくやったよ」(玉置浩二)という感じで、手当たりしだいに並んで、行きあたりばったり上等だった。みんなそう。ある意味ぜいたくな時間だったんだなぁと思いました。

課金パワー
しかし、万能アプリにも制限があって予約は入園してからでないと機能しない。そりゃそうだ。じゃないと際限のない予約合戦がずーっと続いてしまう。入り口でエントリーチケット情報をアプリに読み込ませ、そこからヨーイドンで戦いがはじまる。予約には「スタンバイパス」「40周年記念パス」など複数のやり方があるみたいだが、いちばんわかりやすく力を発揮するのが「プレミアムパス」という課金で予約する方法。もちろん課金にも制限があって一度課金するとしばらく課金できない仕組みになっている。それほど興味がない乗り物を予約してしまうと、いろいろもったいないことになるので注意しましょう。(予期せぬ出来事があるほうが楽しいけど)

スプリングス入域料
今回、ディズニーシーにも行ったのだが(私は初上陸)、新設エリアのファンタジースプリングスに至っては終日入場制限がかかっていて、そもそもスプリングス内の何かしらのアトラクションの予約が取れてないと入域すらできなかった。なんだこの二重のゲートは。まぁそういうものなので、もちろん課金。プレミアムパスはスプリングス入域料も兼用なのだ。ちなみにこの日はピーターパンのアトラクションのみ予約可能でした。

キャストさん、ありがとう
キャストって言葉がいつ頃から普及したのかわたしは知らない。さいしょからだったっけ? とにかくキャストにお世話になった。キャストは自分たちのことを指すとき「キャスト」という。だからこちらも「ふむ、キャストさん」と認識する。車イスで並んでいると必ず声をかけてくれた。諸々の注意点をくりかえし丁寧に説明してくれた。そして車イスで移動しやすいルートも案内もしてくれたし、その他いろいろ、こころを尽くしてくれた。むちゃ感動した。四半世紀前もこうだったっけ? 子どもだったからよくわからない。たぶん、ちがうと思う。この四半世紀で積み上げてきた東京ディズニーリゾートのカルチャーなんだと思った。キャストさん、ありがとう。

パレードたのしい
このたのしさを忘れていた。ダンサーの方たち、カッコよすぎる! 感動!

モノレール最高
これも四半世紀前にはなかった。ランドとシーのあいだを移動する交通手段で東京ディズニーリゾートの周囲をぐるりと回っている。窓から見える景色が哲学的でよかった。ちょうど、ディズニーの魔法世界と現実世界の境界を走っていて、メルヘンな山脈の書割の裏側が見えたり、ダクトがたくさんのバックヤードが覗いていたり、人工的な世界の裏側にある普段は目に見えない巨大なインフラ設備といったグローバル都市の構造を象徴的に体感できる乗りものとなっている。(そろそろ黙ります)

はじめてのディズニーシー
起伏に富んでました!

なぞの金管バンド隊の迫力の演奏
シーの入り口あたりで目撃。カッコよすぎる! 感動!

印象に残ったアトラクションをひとつ選ぶとしたらコレ
ランドだと「プーさんのハニーハント」です。じつははじめて乗りましたが、わたしはこれは「プーさんがハチミツでガンギマリしたときの脳内映像を体験するアトラクション」だと理解しました。サイケデリックな世界に入っていくときの導入がよくて、プーさんがぽわ~んと宇宙に浮かんでいくようすが愉快すぎて声を出して笑いました。これも四半世紀前くらいにできた乗り物だったのか。びっくり。これからもランドに来るたびに乗りたいと思う。

シーは「ソアリン」。まったく事前情報なしに乗ったら最高だった。言葉をうしなう空の旅。となりの外国人家族の子どものリアクションもよかった。「Tokyo tower!」と叫んでいた。

帰り道
シーからランドに戻って新宿行のバスを待っていた。ランドホテルからバスのりばまでは徒歩で5分もかからない。だけど母の足だとそうはいかない。乗り場にベンチはなかった。先回りして確認する。乗り場からちょっと離れたところにトイレとベンチがあって、そこからディズニーランドの広い入口が見渡せる。夕方をすぎてライトアップされていて「きれいだね」と母がつぶやく。今夜はエレクトリカル・パレードがあるだろうか。昨日は雨で中止になってしまった。はりきって見物席を予約して、急いで夕食をすませて移動したのに、着いてみたら中止といわれて、がっかりした。「また今度こよう」と自然と口にしていた。

まだ帰る時間には早いけど、家で留守番している猫(Koo)が心配だった。雨が続いていたから眠りこけているはずだが、少しはさびしく思っているだろう。ベンチが濡れていたので、手ぬぐいでふいて一列になって腰掛けた。モノレールがちょうどランドの入り口の広場の手前を通り過ぎていく。ディズニーの夢のような音楽が大音量で流れていた。まるで自治体が地域の子どもたちの帰宅をうながす夕方の放送みたいだ。でもディズニーランドのメロディはいつまでもやまない。日常に帰還していく魂たちをなぐさめ、はげましつづけるために。

バスに乗りこみ、車窓をぼんやりと眺める。四半世紀ぶりでも帰り道のさみしさは変わらない。あれからたくさんのことがあった。信じられないくらいに。いつのまにか大人になった。親は老いたし、じぶんも老いた。だからどうしたの? お土産がたくさん入ったバッグにプリントされたミッキーが不思議そうに問いかける。

バスは夜の首都高を走り抜ける。複雑さを増していく立体交差がまるでディズニーのアトラクションみたいだなと思う。灰色の密林のようなインフラ網に閉じ込められながら、わたしたちは夢をみて、夢をつくり、遊ぶ。魔法はたしかに永遠なのかもしれない。夢をみたい、夢をみさせたいという思いが表現されつづけるかぎり。四半世紀が過ぎたからこそ、四半世紀なんて関係なかった、すてきな時間は何度でもめぐってくるのだから。

さいごはエッセイになってしまいました。

ディズニーランド、たのしかったです。

おしまい


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