トルコの歴史
今年(2023年)はトルコ共和国の成立100周年です。そこで、トルコの歴史について簡単にまとめてみたいと思います。
オスマン帝国の歴史
(1299年から1922年まで)
オスマン帝国の興隆(13世紀末~16世紀半ば)
トルコ系の遊牧民であるオスマン家がアナトリア西北部に勢力を築き、東ローマ帝国やセルジューク朝などの周辺国家を征服してオスマン帝国を建国しました。
オスマン帝国はイスラム教スンナ派の国家として、カリフの称号を持つスルタンが絶対的な権力を持ちました。
オスマン帝国はデヴシルメ制度によって優秀な人材を育成し、イェニチェリと呼ばれる常備軍を擁しました。
オスマン帝国はバルカン半島や地中海、中東、北アフリカなどに領土を拡大し、世界の交易路を支配しました。
オスマン帝国はスレイマン1世の時代に最盛期を迎え、ウィーン包囲などでヨーロッパに大きな脅威を与えました。
オスマン帝国の衰退(16世紀半ば~19世紀末)
オスマン帝国はスレイマン1世の死後、政治的・軍事的・経済的・社会的・文化的な衰退に陥りました。
オスマン帝国はイェニチェリや宦官の権力の増大、皇室夫人による女人政治、官僚の腐敗などで中央集権体制が崩壊しました。
オスマン帝国はオーストリアやロシアなどのヨーロッパ列強に敗れ、領土を失いました。
オスマン帝国はギリシャやエジプトなどの民族運動や反乱によって支配下の地域を分離されました。
オスマン帝国はタンジマートや青年トルコ人革命などの近代化政策を推進しましたが、十分な成果を上げることができませんでした。
オスマン帝国の崩壊とトルコ共和国の成立(20世紀初頭)
オスマン帝国は第一次世界大戦に中央同盟国として参戦しましたが、敗戦しました。
オスマン帝国は連合国によってムドロス休戦協定を結ばされ、主要な領土の多くを占領されました。
オスマン帝国はムスタファ・ケマルらによるトルコ革命によってスルタン制が廃止され、最後のスルタンであるメフメト6世が亡命しました。
オスマン帝国はアンカラ新政府と連合国との間でローザンヌ条約を締結し、オスマン帝国は正式に解体されました。
トルコ共和国はアンカラ新政府が1923年に建国を宣言し、ムスタファ・ケマルが初代大統領に就任しました。
トルコ共和国の歴史
(1923年から現在まで)
近代化と世俗化(1923年~1945年)
トルコ共和国はケマル主義に基づいて近代化と世俗化を進め、欧州との関係を強化しました。
トルコ共和国は憲法からイスラム教を国教とする条文を削除し、トルコ語にはアラビア文字に替えてアルファベットを当てました。
トルコ共和国は教育制度や法制度を改革し、女性の参政権や民族的・宗教的・文化的な多様性を認めました。
トルコ共和国は第二次世界大戦では中立を維持しましたが、末期の1945年、連合国の勝利が確定的になると、その圧力により2月23日に対日独宣戦布告しました。
冷戦とNATO加盟(1945年~1990年)
トルコ共和国は戦後、国交が回復するとともに、旧首都イスタンブールに置かれていた在トルコ日本大使館がアンカラに移転し、本格的な二国間関係が始まりました。
トルコ共和国は冷戦の中で西側陣営に属し、1952年にNATOに加盟しました。
トルコ共和国はソビエト連邦の脅威に対抗するためにアメリカとの軍事協力を強化し、キューバ危機ではミサイル基地を提供しました。
トルコ共和国はキプロス問題やクルド人問題などの民族紛争に直面し、政治的・社会的・経済的な不安定さを経験しました。
民主化と欧州連合への加盟申請(1990年~現在)
トルコ共和国は冷戦の終結後、民主化と市場経済の改革を推進し、欧州連合への加盟申請を行いました。
トルコ共和国は欧州連合との関係を深める一方で、イスラム圏との関係も重視し、中東和平やアフガニスタン問題などの国際的な課題に積極的に関与しました。
トルコ共和国は2002年にエルドアン率いる公正発展党が政権を獲得し、イスラム系政党としては初めて長期間にわたって政権を維持しました。
トルコ共和国は2020年に英語表記を Turkey から Türkiye へ変更することを決定し、2022年に国連に通報しました 。
以上が、オスマン帝国とトルコの歴史をまとめたものです。トルコの歴史は、イスラム教とヨーロッパ文化の交流や衝突、多様な民族や宗教の共存や対立、政治的・経済的・社会的・文化的な変革や挑戦などのテーマを含んでいます。トルコの歴史についてもっと知りたい場合は、以下の書籍を参照してください。
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