歴史学のトリセツ 第三章メモ(おすすめ!)
前回までの内容
歴史学の父と呼ばれるランケは実証主義歴史学を創始し、公文書至上主義や実証主義に基づく歴史学を方向づけた。一方で、ランケ学派の欠点を乗り越えようと、さまざまな新しい派閥が現れ始めた。
アナール学派の成立──フランス
アナール学派は、20世紀前半にフランスで成立した歴史学の学派です。1929年にリュシアン・フェーヴルとマルク・ブロックが創刊した学術誌『社会経済史年報(Annales d'histoire économique et sociale)』に集まった歴史家たちが主導しました。この学派は、従来の政治史や軍事史に偏った歴史学を批判し、経済史や社会史、心性史などの新しい視点を取り入れました。
フェーヴル、ブロック(アナール学派第一世代)
リュシアン・フェーヴル(1878-1956)は、16世紀フランスの歴史を専門とする歴史学者で、心性史(人々の思考や感情の歴史)を重視しました。彼の代表作には『大地と人類の進化』や『ラブレーの宗教』などがあります。
マルク・ブロック(1886-1944)は、中世ヨーロッパの社会史を専門とする歴史学者で、比較史の手法を用いて歴史を研究しました。彼の代表作には『封建社会』や『歴史のための弁明』などがあります。
歴史学は問題史
「問題史」とは、特定の歴史的事象やテーマに焦点を当て、その変遷や影響を追究する歴史研究の方法です。アナール学派は、この問題史の手法を用いて、従来の時代区分や地域にとらわれず、広範な視点から歴史を分析しました。
例えば、フェーヴルの『大地と人類の進化』では、地理学的視点から人類の歴史を分析し、環境と人間の相互作用を探求しました。また、ブロックの『封建社会』では、中世ヨーロッパの封建制度を経済的、社会的、文化的な側面から総合的に研究し、封建制度の成立と変遷を明らかにしました。
労働史学の誕生──イギリス
労働史学は、20世紀中頃にイギリスで発展した歴史学の一分野です。特に労働者階級の生活や労働運動、社会的な変化に焦点を当てています。労働史学は、従来の政治史や経済史では見落とされがちだった労働者の視点を取り入れることで、歴史の理解を深めることを目指しました。
労働史学が生まれた背景
労働史学が生まれた背景には、産業革命以降の社会的・経済的変化に加え、2度の世界大戦の影響があります。第一次世界大戦と第二次世界大戦は、労働者階級の生活や労働環境に大きな影響を与えました。戦争による労働力の需要増加や戦後の復興期における労働運動の活発化が、労働史学の発展を促しました。
エドワード・トムスン
エドワード・P・トムスン(1924-1993)は、イギリスの歴史家であり、労働史学の重要人物です。彼の代表作『イングランド労働者階級の形成』は、18世紀末から19世紀初頭にかけてのイギリスの労働者階級の形成過程を詳細に描いています。トムスンは、労働者の視点から歴史を再構築し、彼らの経験や文化を重視するアプローチを取りました。
「記憶の排除」の限界
「記憶の排除」とは、ランケ学派の手法の一つで、「史料として民衆の記憶を頼らない」という手法を指します。この手法は、史料の客観性を重視する一方で、民衆の視点や記憶を排除することにより、歴史学の限界があると批判されました。アナール学派などの後続の歴史学派は、この限界を克服するために、民衆の記憶や経験を重視するアプローチを取り入れました。
世界システム論──アメリカ合衆国
世界システム論は、アメリカの社会学者イマニュエル・ウォーラーステインが提唱した理論です。この理論は、世界を一つのシステムとして捉え、経済的・政治的な関係を分析します。ウォーラーステインは、世界を「中心」「半周辺」「周辺」の三つの層に分け、中心国が周辺国を経済的に支配する構造を説明しました。
イマニュエル・ウォーラーステイン
イマニュエル・ウォーラーステイン(1930-2019)は、アメリカの社会学者であり、世界システム論の提唱者です。彼は、資本主義の発展とともに世界が一つのシステムとして機能するようになったと主張しました。ウォーラーステインの研究は、経済史や社会学、政治学など多岐にわたり、特に「近代世界システム」という概念で知られています。
アナール学派の世代交代:ブローデル、ラブルース
アナール学派は、20世紀フランスで成立した歴史学の学派です。初代のリュシアン・フェーヴルとマルク・ブロックに続き、第二世代としてフェルナン・ブローデルが学派を牽引しました。ブローデルは『地中海』などの著作で知られ、長期的な歴史の流れ(長期持続)を重視しました。エルネスト・ラブルースは、数量史の分野で重要な役割を果たし、物価史や経済史の研究を進めました。
「マルクスとヴェーバー」から──日本
皇国史観とマルクス主義歴史学
皇国史観は、日本の歴史を天皇を中心に展開してきたとする歴史観です。特に第二次世界大戦前の日本で強調され、国家主義的な教育の一環として広まりました。一方、マルクス主義歴史学は、歴史を経済的な視点から分析し、階級闘争や生産手段の変化を重視します。戦後、日本では皇国史観が批判され、マルクス主義歴史学が広まりました。
比較経済史学派:大塚久雄
大塚久雄(1907-1996)は、日本の経済史学者で、比較経済史学派の代表的な人物です。彼は、マックス・ヴェーバーの社会学とカール・マルクスの唯物史観を融合させ、近代資本主義の発展を分析しました。大塚は特に、独立自営農民(ヨーマン)が近代資本主義の発展に重要な役割を果たしたと考えました。
マックス・ヴェーバーとその学説
マックス・ヴェーバー(1864-1920)は、ドイツの社会学者で、社会科学全般にわたる業績を残しました。彼の代表作『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』では、宗教が経済発展に与える影響を分析しました。ヴェーバーは、社会行動を理解するために「理解社会学」という方法を提唱し、行動の動機や意味を重視しました。
「下からの歴史」としての社会史学へ
ソ連の実情とマルクス主義への幻滅
ソ連の実情は、マルクス主義の理想とは大きく異なっていました。ソ連では、共産党による一党独裁や計画経済が行われましたが、官僚主義や抑圧的な政治体制が広がり、多くの人々が失望しました。このため、ソ連の実情を知った多くの人々がマルクス主義に幻滅し、批判的な視点を持つようになりました。
「下から目線」の歴史学:労働史学やアナール学派
「下から目線」の歴史学は、一般の人々や労働者の視点から歴史を捉えるアプローチです。労働史学は、労働者階級の生活や労働運動に焦点を当て、彼らの経験や視点を重視します 。アナール学派も、民衆の生活や社会全体の「集合記憶」に注目し、従来の政治史や事件史とは異なる視点から歴史を研究しました。
アナール学派の第三世代:文化人類学的アプローチと社会史学
アナール学派の第三世代は、文化人類学的アプローチを取り入れ、社会史学をさらに発展させました。例えば、エマニュエル・ル・ロワ・ラデュリやジャック・ル・ゴフなどの歴史家は、地域社会や民衆文化、心性史などを研究し、歴史の多様な側面を明らかにしました。
日本の歴史学者による社会史
日本でも社会史学の影響を受けた研究が活発になりました。例えば、以下の本が歴史書としては異例の売り上げを記録しました。
『ハーメルンの笛吹き男』は、阿部謹也がドイツの伝承を検証した歴史書です。1284年にハーメルンで起きたとされる子供たちの失踪事件を扱っています。
『義賊マンドラン』は、中世フランスの伝説的な義賊を題材にした千葉治男による歴史書で、貧しい人々を助けるために富裕層から盗みを働いたとされています。
『パリの聖月曜日』は、19世紀のパリで労働者が月曜日に休暇を取る習慣を描いた喜安朗による歴史書です。
これらの本はその面白さから、日本に「社会史ブーム」を巻き起こしました。
モダニズムがもたらしたもの
モダニズムは、19世紀末から20世紀初頭にかけて生まれた文化的・社会的な潮流です。この運動は、伝統的な価値観や形式を拒絶し、新しい表現方法や視点を模索することを特徴としています。モダニズムは、急速な工業化と都市化、そして科学技術の発展に直面した社会において、既存のルールや価値観が崩壊していく様子を反映しています。
モダニズムからポストモダニズムへ
ポストモダニズムは、モダニズムに続く思想運動で、20世紀中葉から後半にかけて発展しました。ポストモダニズムは、モダニズムの合理主義や普遍的な真理に対する懐疑を強調し、多様性や相対主義を重視します。この運動は、文学、芸術、建築、哲学などの分野で広がり、既存の枠組みを超えた新しい表現や視点を模索しました。
近代への懐疑:『沈黙の春』(カーソン)のヒット
レイチェル・カーソンの著書『沈黙の春』(1962年)は、農薬や化学物質の危険性を訴えた作品で、環境問題への関心を高めました。この本は、近代の科学技術がもたらす負の側面に対する懐疑を呼び起こし、環境保護運動の先駆けとなりました。カーソンの警告は、自然環境と人間の健康に対する深刻な影響を明らかにし、多くの人々に環境問題への意識を促しました。
歴史学に対するポストモダニズムの影響:言語論的転回
ポストモダニズムは、歴史学にも大きな影響を与えました。特に、言語論的転回は、歴史の記述や解釈において言語の役割を重視するアプローチです。この視点では、歴史は客観的な事実の集積ではなく、言語を通じて構築されるものであると考えます。これにより、歴史家の主観や社会的背景が歴史の解釈に与える影響が強調されるようになりました。
言語論的転回の歴史学への影響については、第四章でさらに詳しく検討されます。
by Copilot