歴史学のトリセツ 第二章メモ
前回までの内容
歴史学の父
ヘロドトス
ヘロドトス(紀元前484年頃 - 紀元前425年頃)は、古代ギリシャの歴史家で、「歴史の父」と呼ばれています。彼は『歴史』という著作を残し、ペルシア戦争や当時の世界の様子を詳細に記録しました。ヘロドトスは多くの地域を旅し、見聞きしたことをまとめたため、彼の著作は歴史的な事実だけでなく、文化や風俗についても豊富な情報を提供しています。
トゥキュディデス
トゥキュディデス(紀元前460年頃 - 紀元前395年頃)は、同じく古代ギリシャの歴史家で、ペロポネソス戦争を記録した『戦史』で有名です。彼は実証的な立場から歴史を記述し、戦争の原因や経過、結果を詳細に分析しました。トゥキュディデスは客観的な視点を重視し、事実に基づいた記述を行ったため、歴史学において非常に重要な人物とされています。
司馬遷
司馬遷(紀元前145年頃 - 紀元前86年頃)は、中国の前漢時代の歴史家で、『史記』の著者です。『史記』は、中国の伝説的な黄帝から漢の武帝までの約2000年にわたる歴史を網羅した全130巻からなる歴史書で、後の歴史書の模範となりました。司馬遷は、父の遺志を継いでこの壮大な歴史書を完成させました。
近代歴史学の父
レオポルト・フォン・ランケ(1795年 - 1886年)は、ドイツの歴史学者で、「近代歴史学の父」と呼ばれています。彼は、歴史研究において厳密な史料批判を導入し、客観的な歴史叙述を目指しました。
ランケの功績
史料批判の確立:ランケは、文献史料の真偽を厳密に検討する手法を確立しました。これにより、歴史研究の信頼性が大きく向上しました。
実証主義:彼は「それは事実いかにあったのか」を探求する実証主義的なアプローチを提唱し、歴史を教訓や物語としてではなく、事実に基づいて記述することを重視しました。
教育への貢献:ベルリン大学で教授を務め、ゼミナール形式の講義を導入しました。この教育方法は、後の歴史学者たちに大きな影響を与えました。
代表作
『ローマ的・ゲルマン的諸民族の歴史』:1824年に発表されたこの作品は、ランケの歴史研究の基礎を築いた重要な著作です。
『近世歴史家批判』:同じく1824年に発表され、過去の歴史家たちの手法を批判し、科学的な歴史研究の必要性を説きました。
ランケの手法と思想は、歴史学の発展に大きな影響を与え、彼の業績は今日の歴史研究の基盤となっています。
「それは実際いかなるものであったか」
レオポルト・フォン・ランケの有名な言葉「それは実際いかなるものだったか」(ドイツ語: wie es eigentlich gewesen)は、歴史学における実証主義の基本理念を表しています。この言葉は、歴史家が過去の出来事をできるだけ客観的かつ正確に再現しようとする姿勢を示しています。
ランケは、歴史を教訓や物語としてではなく、事実に基づいて記述することを重視しました。彼のアプローチは、史料批判を通じて信頼性の高い情報を得ることに重点を置き、過去の出来事をそのままの形で理解しようとするものでした。
この実証主義的な方法論は、近代歴史学の基礎を築き、後の歴史研究に大きな影響を与えました。
実証主義
実証主義は、歴史研究において客観的で正確な叙述を目指す方法論です。以下の特徴があります。
史料批判:文献や記録の真偽を厳密に検討し、信頼できる情報のみを使用します。
客観性:歴史を教訓や物語としてではなく、事実に基づいて記述することを重視します。
科学的手法:実証的なデータに基づいて歴史を分析し、再現可能な方法で研究を進めます。
公文書至上主義
公文書至上主義は、歴史研究において公文書や公式記録を最も重要な史料とする考え方です。以下の特徴があります。
一次資料の重視:政府や公的機関が作成した文書を主要な情報源とし、これに基づいて歴史を再構築します。
信頼性の確保:公文書は公式な記録であるため、他の史料に比べて信頼性が高いとされます。
実証主義と公文書至上主義は、歴史研究において客観性と正確性を追求するための重要な方法論です。これらの手法により、歴史学は科学的な学問として発展しました。
資料批判
資料批判は、歴史学者が過去の出来事を正確に理解するために行う重要な作業です。以下にその概要を説明します。
資料批判とは
資料批判(しりょうひはん、ドイツ語: Quellenkritik)は、歴史学において、史料の正当性や妥当性を検討する方法です。これは、19世紀のドイツの歴史学者レオポルト・フォン・ランケによって確立されました。
資料批判のプロセス
資料批判は、以下のようなプロセスを経て行われます。
1. 外的批判:史料の外見や物理的な特徴を検討し、その史料がいつ、どこで、誰によって作成されたのかを確認します。これには、紙の種類、インク、筆跡、印刷技術などの分析が含まれます。
2. 内的批判:史料の内容を詳細に検討し、その情報がどれだけ信頼できるかを評価します。これには、記述の一貫性、他の史料との比較、記述者の意図や背景の分析が含まれます。
資料批判の重要性
資料批判は、以下の理由から歴史研究において非常に重要です。
正確性の確保:史料の信頼性を確認することで、歴史的事実の正確性を高めます。
偏りの排除:史料の作成者の意図や背景を理解することで、偏った情報を排除し、客観的な歴史叙述を目指します。
新たな発見:資料批判を通じて、これまで見過ごされていた事実や新たな視点を発見することができます。
歴史家の仕事
歴史学者の仕事のステップについて、資料の収集、資料批判、過去の事実の技術の順に説明します。
1. 資料の収集
歴史学者はまず、研究対象に関連する資料を収集します。これには以下のようなものが含まれます。
一次資料:当時の文書、手紙、日記、公式記録、新聞記事、写真、遺物など。
二次資料:他の歴史学者が書いた論文や書籍、研究報告など。
2. 資料批判
収集した資料の信頼性を評価するために、資料批判を行います。(資料批判のプロセスを参照)
3. 過去の事実の記述
資料批判を経て信頼性が確認された情報を基に、過去の事実を再構築します。これには以下の作業が含まれます。
分析と解釈:収集したデータを分析し、歴史的な出来事や社会の動向を解釈します。
仮説の構築:得られた情報を基に、過去の出来事についての仮説を立てます。
執筆と発表:研究成果を論文や書籍として執筆し、学会や専門誌で発表します。
これらのステップを通じて、歴史学者は過去の出来事を明らかにし、その知識を後世に伝える役割を果たします。
ランケ以後の歴史学
ランケ以後の歴史学は、さまざまな方向に発展しました。以下に、ランケ学派、マルクス主義歴史学、文化史学について簡単に説明します。
ランケ学派
ランケ学派は、レオポルト・フォン・ランケの実証主義的な歴史研究方法を継承した学派です。ランケは、史料批判を通じて歴史的事実を客観的に再現することを目指しました。彼の弟子たちは、この方法をさらに発展させ、歴史研究における厳密な史料批判と客観性を重視しました。
マルクス主義歴史学
マルクス主義歴史学は、カール・マルクスとフリードリヒ・エンゲルスの唯物史観に基づく歴史研究の方法です。マルクス主義歴史学は、経済的な生産関係が社会の基盤を形成し、その上に政治や文化が築かれると考えます。歴史の発展は、階級闘争を通じて進行し、最終的には無階級社会に至るとされます。
文化史学
文化史学は、政治や経済だけでなく、文化、宗教、日常生活など、広範な人間活動を対象とする歴史研究の方法です。スイスの歴史家ヤーコプ・ブルクハルト(1818-1897)によって創始されました。文化史学は、特定の時代や地域における精神的・文化的な活動を重視し、社会全体の動向を理解しようとします。
これらの学派は、それぞれ異なる視点と方法論を持ちながら、歴史学の発展に大きく寄与しました。どの学派も、歴史をより深く理解するための重要なアプローチを提供しています。
日本の歴史学者
ランケ流の歴史学を受容した日本の歴史学者には以下のような人物がいます。
重野安繹(しげの やすつぐ)
重野安繹(1827-1910)は、江戸時代末期から明治時代にかけて活躍した歴史学者であり、漢学者です。彼は日本で最初に実証主義を提唱した歴史学者の一人であり、日本の近代歴史学の基礎を築きました。
経歴:薩摩藩の藩校である造士館や江戸の昌平黌で学びました。明治時代には、太政官修史局や帝国大学(現在の東京大学)で歴史の編纂に従事しました。
業績:『大日本編年史』の編纂に参加し、実証主義に基づく歴史研究を推進しました。また、赤穂義士の実話を検証し、寺坂信行の逃亡説を否定するなど、歴史的事実の再評価にも貢献しました。
抹殺博士:重野安繹は、実証主義に基づく厳密な史料批判を行い、歴史上の人物や出来事の実在を否定することがありました。例えば、児島高徳や楠木正成の逸話を否定したため、「抹殺博士」と呼ばれるようになりました。
久米邦武(くめ くにたけ)
久米邦武(1839-1931)は、明治時代から昭和初期にかけて活躍した歴史学者です。彼は岩倉使節団の一員として欧米を視察し、その経験を基に『米欧回覧実記』を執筆しました。
経歴:佐賀藩出身で、藩校弘道館や昌平坂学問所で学びました。明治政府に仕え、修史館での歴史編纂に従事しました。
業績:『米欧回覧実記』は、岩倉使節団の詳細な記録として高く評価されています。また、古文書学の創始者としても知られ、歴史学の基礎を築きました。
筆禍事件:1892年に「神道ハ祭天ノ古俗」という論文が神道界からの反発を招き、教授職を辞任することになりました(久米邦武筆禍事件)。
重野安繹と久米邦武はそれぞれの時代において、日本の歴史学の発展に大きく貢献しました。
第二章のまとめ
歴史学の父というとヘロドトスやトゥキュディデス、司馬遷が思い浮かぶが、現代の歴史学の基礎を築いたのはドイツの歴史学者ランケである。ランケが始めた歴史学は実証主義史学と呼ばれ、資料の厳密な検討を通じて歴史上で「実際に起こったこと」を明確にしようとした。ランケ以降もさまざまな歴史学の潮流が生まれたが、その基盤にあるのはランケの実証主義史学である。
by Copilot