憧れは憧れのままで、何か別のものに生まれ変わる。
大晦日の1日前。仕事納めの後の緩やかな空気の中、少しだけ部屋の片付けをした。大掃除するほどの余裕はないから、本当にちょっと整理した程度。いらないものを捨てて、段ボールをまとめて、溢れていた本を本棚に仕舞う程度。そのくらいが今の私の精一杯だった。
溢れていた本の中に、漫画の連載を終えた漫画家さんが記念に作って発行、頒布した本があった。読みたかったけど、何となくドキドキしてページを捲れないでいたその本のページを何とはなしに捲る。その本は、漫画ではなく写真と漫画家さんの文章で構成されていた。漫画だけじゃなく、ブログやTwitterでいつも読んでいる慣れ親しんだ文章。なのに、読むと気持ちがざわざわと揺れ出した。
ーー そこには漫画家さんの魂の叫びが綴られていた。
その漫画家さんの作品に出会ったのは、私がまだ高校生の頃。別の漫画家さんの漫画の後書きに、友情出演しておまけを描いていて、その内容に心惹かれて漫画を手に取ったのが始まりだ。そこから20数年。私もいつの間にか大人になっていた。色々と変わったし、心の在り方や感じ方、好きなものも変わったと思う。でも私は今もその漫画家さんの漫画が大好きで、ずっと追いかけていた。仲良しの友達に漫画を紹介したりすることもあった。
一度好きになったら、ずっと好きで、好きな気持ちは20年経っても変わらなかった。漫画家さんの作る物語が、キャラクターの生き様が、今も好きだと思う。その当時の作品はその当時のまま好きだし、最近の作品の時を経て、丸みを帯びた雰囲気だって好きだと思う。昔の作品は魂を削るような、ナイフみたいな鋭さがあった。現在の作品は全てを許容するような、シーツみたいに包み込む大らかさがある。
どちらも等しく、私に赦しを与えるような作品で変わらずに愛しているし、ずっとずっと憧れていた。『憧れている漫画家さんは?』と聞かれたら、多分その漫画家さんの名前を挙げると思う。その人みたいな漫画を多分私は描けない。描けないからこそずっとずっと強烈な印象を持ったまま、憧れ続けていた。
その漫画家さんの漫画の後書きやブログの文章、そして作品そのものから『私は漫画を描かないと生きていけない』という湧き上がるような魂の叫びを、ずっと感じていた。食事をして排泄する。その生理的な人間の営みと同じベクトルで、漫画を描く人。漫画を描くために生まれてきた人。そんな人だと思っていたし、多分大きく外れてはいないと思う。
私も絵や漫画、小説をかく創作者の端くれだけど、私は創作をしなくても生きていけるし実際に描かない時期も結構な年数あった。今だって創作とは全く関係のない職業で食べている。無邪気に『漫画家になりたい!』と思っていた時期が私にもあったけど、私は吐き出さないと生きていけないほどの感受性はなく、常に中途半端だった。大好きな筈の絵という分野でさえ、作品を完成させることが出来ない。漫画を一本完成させることだって難しい。必要に迫られるほどに、排泄するみたいに描くことは出来ないということを、私はもう知っている。知った上でプロを志すほどの意気地も勇気も覚悟もなかった。今の生活を180度変えてまで、漫画家を目指すくらいの必死さもない。だからずっとずっと燻りを抱えて生きている。諦めきれなくて、縋るように創作を続けている。排泄するみたいに漫画が描けなくても、やっぱり漫画が好きだから。
死ぬほどの必死さで挑戦しないことで、いつか後悔する日がくるのかもしれないけれど、ずっと現状に甘んじている。チャレンジして漫画が嫌いになるのが怖いし、筆を折ってしまうのが怖い。そう思うくらいには、やっぱり私は漫画が大好きだから。挑戦しないことも私にとっては『愛』なのかもしれない。これは言い訳だけど。
20年間そんな風に生きていた私とは違い、その漫画家さんは20年間ずっとずっとずっと血を吐くみたいに漫画を描き続け、本を出してきた。私からしたら本当に本当に、凄いことだと思う。
でもそこまでして漫画を描いても、世間一般からその漫画家さんは殆ど認知されていない。知っている人は知っている。そのくらいの知名度。漫画家さんはTwitterやブログでも、漫画を描いて発表する場所がどんどん減っていることを嘆いていたし、葛藤しているように見えた。私もそれをはらはらした気分で見守りながら、ずっと追いかけていた。
私からしたら、描かないと生きていけないくらいに漫画から愛されて、漫画に選ばれた人に見えた。憧れの漫画家さん。何度読み返しても、何度ページを捲っても、真似できないスキルで描かれた作品たち。どんなに努力しても、この域には辿り着けないだろうと思うその漫画を、私はずっとずっと愛していたし、救われてきた。
でも、その作品たちは大衆に受け入れられないものなんだ、といういま現在の事実に打ちのめされている。もう読めなくなる日がくるのかもしれないという恐怖さえある。
私が憧れてやまない漫画家という職業。その職業が孕む残酷さを目の当たりにした気分だった。
私はスタートラインに立つことも、『漫画家』と名乗ることだって、多分ないと思う。スタートラインに立つことだって難しいし、そこに立ち続けることも難しい。たくさんの人の目に止まる作品を生み出すことも、無尽蔵に作品を生み出し続けることだって地獄のように苦しくて難しい。地獄でそんな刑罰を課す場所があってもおかしくないんじゃ?と思うくらい。
『漫画家』という職業の難しさを痛感しているし、打ちのめされている。創作という行為の曖昧さは、時に救いとなるし、時に自分を突き刺さしてしまう刃になるんだなぁと改めて思った。
創作を続けていくことは、生涯苦しみ続けていくことと、同じことなのだ。
それでも私は漫画が、創作が、好きだから結局は救われながら苦しみ続ける道を選ぶのだと思う。傍から見たら滑稽なのかもしれない、結実しないことを続けるのは愚かなことなのかもしれない。でも私は名もない創作者の端くれとして、創作を続けていく。
苦しいけど、やっぱり救済でもあるから。
ーー と、こんな文章を綴るくらいには重いベクトルで私は創作が好きなんだなぁと思った年の暮れでした。
作業することは人間の救済だと信じて、今日も私はペンを握ります。何処かの誰かに突き刺さることを信じて。